@choku1stの雑記

「人生」とかいうソシャゲを攻略していこう

留年4回したとある大学生の話【第9話】24歳、学生です。

 

 

 

【6年前期】

 

 

 

「あれ?チョクさん!?チョクさああああああん!!」

 

 

生協の購買を出たところで、

バスケサークルの後輩に声を掛けられた。

 

 

「え?卒業してなかったんすか!じゃあ今日のサークル来れますよね!今年もよろしくお願いします!」

 

 

 

嬉しすぎて涙が出そうになった。

 

「”6年生の”チョクです。よろしくお願いします。」

 

小学校かな?

ひとまず今年が留年2回目であることを噛みしめ、

緊張と嬉しさ混じりで自己紹介をした。

 

偶然にもミニバスで見知っていた5個下の後輩が入学し、

昨年の1年生偽装ドッキリは失敗に終わる。

 

新しく入った女子マネージャーには

名前を「ちょく」と発音する中国人留学生

だと思われたらしく、

「自分中国語取ろうと思ってるんですよ~教えてください^^」

なんて言われたりした。

に、二ぃハぉ~( ^ω^)

 

 

 

人間関係は良好!

学業面も極めて順調!

 

大学生活6年目は最高の滑り出しになった。

 

 

 

…あれ?

 

金銭面の問題はどうなったの?

 

単位落としてなかったっけ?

 

卒業はできるの?

 

 

 

 

 

 

 

__________________________

 

【6年生になる2か月前】

 

 

時は5年生の春休みである。

 

 

自分は生活保護について調べていた。

調べれば調べるほど、その内容に驚く。

 

え、7万円ももらえるの??

え、医療費がタダになるの???

え、家賃が補助されるの????

 

なんじゃこの神制度は!!

 

 

全身が震えた。

月10万稼ぐ労力を一気に軽減できる。

 

天才か?

 

ちょっと待てよ生活保護が7万円

自分の生活費が5万円

 

7万円 > 5万円

 

天才か?(2回目)

 

 

一生遊んで暮らせるやん!!

しかもソシャゲに毎月2万円も課金する余裕まである!!←

 

 

確か老後も金になる資産や財産がなくて、年金がなければ生活保護がもらえたはずだ。

 

天才か???(3回目)

 

もう死ぬまでの全ての一本道が見えた気がした。

 

いや完全に見えた。

 

これで行くしかない。

生活保護による一切働かずに毎日遊ぶだけの人生。

 

不正受給者や、受け取ったお金をギャンブルに投じて困窮する本物のアホが問題になっているようだが、

自分はうつ病(の可能性がある人間)だ!

自分はギャンブルなどしない!

超の付く倹約家だ!

自分のためにあるような制度じゃないか!

 

 

 

 

最高じゃないか!

どうやったらもらえるんだ!?

 

障碍者手帳

 

 

 

 

 

 

 

 

しまったうつ病アピールしておくべきだったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 

 

すぐさま精神科と心療内科を探した。

 

どこでもいい。

 

多少距離があってもいい。

 

交通費をかけても生活保護の受給額を考えればおつりが来る!

 

絶対に手帳をもらうんや!!

 

 

 

 

働かずに手に入るお金が欲しすぎて必死だった。

そして自分の頭の中には、

新しいヴィジョンが出来上がっていた。

 

生活保護だけで生きていくこと」

 

である。

 

自分の生活水準は世間一般から見ればかなり低いものだったが、特に不自由を感じたことはなかったのだ。

家賃を含めても5万円あれば足りたので、

 

7万円なんていただいた日には働かずに貯金まで作れる!

 

そんな計算だったのでニヤニヤが止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

しかし現実は厳しかった。

 

 

「んー、うち3か月先まで予約いっぱいなんですよ」

「申し訳ありません、当病院予約のめどが立たず…」

「すみません只今、予約の受付はしておりません」

「すみません…」

「もうしわけございません…」

 

 

 

ガッテム!

 

 

日本社会の闇を見た。

 

 

心を病んだ日本人、多すぎませんかね?

 

一体何がそうさせてしまうのか

 

社会に出るのこわい…

 

5か所の病院が数か月先までいっぱいってどういうことなの

 

 

これでは生活保護で暮らすどころか受給資格すらもらえない。

冷や汗が出た。

 

そして学費の納期もひと月後に迫っていることもあって非常に焦った。

 

どうしたものか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詰んだ自分は最終的に祖父を頼った。

 

幼少のころに離婚した旧父方の祖父である。

 

旧父親とは完全な疎遠となったが、

祖父とは交流があり、

定期的に連絡をもらったり、米を送ってもらったりしていた。

 

祖父の勤めるスキー場でアルバイトをさせてもらったりもした。

 

「金には困っていないか?」

「飯はちゃんと食べてるか?」

「勉強は順調か?」

 

などなど、

在学中、定期的に電話でいろんなことを尋ねられていたが、

金銭的な迷惑はかけられまいと

仕送りの類は完全に断っていた。

妹経由で住所が割れていたので、

白米が3か月に1回くらいの頻度で強制的に送られたりもしていた。

ありがたい限りである。

 

 

私は電話をかけた。

申し訳なさで泣きそうになりながら現状を話すと

 

祖父は待ってましたと言わんばかりに

 

「いくら必要だ?100万くらいか?」

 

と、十分すぎてビビる金額を提示してきた。

 

 

 

ワイ「いや、あの…とりあえず前期の学費足りない分10万円を…」

 

祖父「そうか、とりあえず口座教えて」

 

 

おそらく、私が人生で最も

「ごめん。申し訳ない。」

という単語を使った電話だった

 

 

申し訳なさで体中からいろんな汁がでた。

 

 

 

 

 

後日銀行に行って残高を確認すると100万円が振り込まれていた。

 

 

見間違いじゃないかと何度か確認したが、

やはり桁が一つ多かった。

 

すぐに電話をかけ、振込金額の間違いを伝えたが

もらっておけ!と

 

いやいやと遠慮していると

じゃあ出世払いだ!と返され

 

最終的にありがたく頂戴することにした。

 

 

 

「このご恩はいつか必ず」

 

 

そう固く誓い、

 

最優先事項だった生活保護の受け取り計画は

一旦白紙になった。

 

 

 

 

 

___________________________________

 

【6年生になる1か月前】

 

 

 

祖父からの援助を受けた1か月後、

自分は卒業論文の作成に着手していた。

 

 

調べものをしながら見ていたYoutubeの内容が興味深いもので

 

「あ、これで絶対いい卒論書けるわ」

 

と直感的に感じたのである

 

 

 

気が早くないかと思われるかもしれないが、

ポケモンサークルの先輩に、

卒業論文は提出したけど、要卒単位が足りなくて留年している

という特殊な方がいたため、

卒論を出してから単位を取るという戦法、

それいただき!

といった感じで、超フライングスタートを切った。

 

暇つぶしで様々な発表会に顔を出したり、

 

後輩が書いている論文を

横からのぞき込んだりしていたので勝手はわかっていた。

 

加えて、その苦労もわかっていたのだ。

訂正に次ぐ訂正、

中間報告会での容赦ない指摘、

重箱の隅をつつくような意地の悪い質問に精神が破壊されていく先輩、後輩をたくさん見てきたため、

卒業の際に立ちはだかる最大の障壁は卒業論文であるという知見をすでに得ていたのだ。

卒論と就活の両方を処理していく真っ当な大学生は本当にすごいと思う。

 

 

 

参考文献0冊という絶対に受け取ってもらえないものだが、

自分で言うのもなんだが、かなりいい感じの内容のものが書けたため保存し、

 

指導担当の教授や、大学の様々な課の窓口を訪れ、

卒業までのルートの相談や、

受け入れてくれそうな研究室やゼミを探した。

 

「4年生ですか?」

 

という職員さんや教授の質問に

 

「5年生です」

 

と答えて

ん?という反応をされたときは恥ずかしかったが、

 

とりあえず軽く論文(仮)に目を通してもらい、

転学類の相談、配属先探しの相談など、

 

手取り足取りいろいろと面倒を見てくれた。

本当に頭が上がらない。

 

理系の研究室でも文系のような内容を扱っていたり、

その逆もあったり、

また選考している学科とは違う研究室に入れたりと

けっこう大雑把なシステムの大学だったためなんとかなった。

 

更に自分の金銭的な事情と

卒業までギリギリなことを考慮し、

可能な限りゆるめの雰囲気のゼミにたどり着く。

バイトですっぽかしてしまう日も多々あったが、

別の日に埋め合わせてくれれば問題ないというスタンスだったので

本当に担当の教授には感謝しかない。

 

 

 

色々と奔走した結果、

無事卒業までの道筋を立てることができた。

 

絶対にこの道から外れてなるものかと固く誓い、

 

そこから着実に卒業まで歩みを進めていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________________________

 

 

 

【6年後期】

 

 

 

たのしい時間は一瞬で過ぎ去るもので、大学6年生は一瞬で過ぎ去った。

 

「貯金通帳の余裕は心の余裕」

 

とはよく言ったもので、

潤いに潤った通帳の残高は、自身の人格も潤していった。

 

 

ポケサーの活動が楽しかった。

夏休みには生存報告も兼ねて

ポケモンサークルの交流会に参加し、

無事に”24歳学生”を名乗ることができた

 

無事 とは 

 

 

また、非公認ではあるが

大学側に登録されるよう教授に掛け合い、

顧問になってくれそうな先生を後輩に紹介してもらい、

交渉の末、サークルとしての活動が大学側に認められるようになった。

教室が借りれるようになり、

活動の幅が広がったうえに、

サークルオリエンテーションのパンフレットに載ることで、

雨の中、事前にチラシを配らなくても

興味をもった学生が見学に来てくれるようになった。

 

 

卒業した後輩と共にOB飲みを企画し、

サークルの現状や、社会人生活での愚痴などで盛り上がった。

 

公務員になり、生活保護受け渡しの窓口に回された後輩に

「もしかしたら貰いに行くかもしれない」

という旨を伝えたところ、

 

「やめてくださいよ。チョクさんの担当したくないですよ。」

と一蹴された。

 

 

...(泣)

 

 

 

 

 

体を動かしたい季節にはバスケットボールに全力で打ち込んだ。

 

当時ゴールデンステート・ウォリアーズがNBAで圧倒的な強さのスーパーチームになっており、バスケットボール界の話題を席巻していた。

暇さえあればニコニコ動画Youtubeを同時視聴するスタイルになっていた自分は、今までしっかりと見てこなかったNBAにのめり込んでいった。

 

TwitterNBAの話題を頻繁に呟くが、実はそんなに視聴歴は長くない。

 

GSWの中心選手ステフィン・カリーの、とんでもない距離からものすごい確率で決まるスリーポイントシュートに感銘を受け、ハーフコートライン付近からのシュートをめちゃめちゃ練習した。

 

シュートフォームや遠くに飛ばすための理論、筋力トレーニングのメニューなど、

知り得たものを片っ端から吸収していった。

 

「サークルの時間になったから行くか」

 

程度のモチベーションだったバスケサークルも、

 

「バスケットボールがしたい!早く体育館開かないかな?」

 

と、開始10分前には必ず到着するようになり

自主練習の時間を1分1秒捻出するのに必死になるくらいに

楽しみなものになっていった。

 

 

 

 OB会なるものにも初めて参加し、

自分が1年生だった頃の4年生にあたる先輩と再会し感動した。

 

追いコンでは後輩を追い出すという異常事態になってしまった上に、

花束を渡し、

社会人になっても頑張れと励ます側の自分が

 

「ありがとうございます!チョクさんも卒業してくださいね!」

 

 と、逆に励まされてしまった。

 

とても励みになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強も楽しかった。

 

 

知らないことが出てくるたびに、

アレも知りたい、これも知りたいと、

調べものが捗った。

 

高校時代や、大学入学時に

「主体的な学びを大切に~」

 

などと偉そうに説教を垂れる諸先生方の言葉が微塵も理解できなかったが、

その意味がようやく分かるようになった。

 

自分から求めにいった知識はスッと頭の中に入ってくる。

社会の教科書を暗記するために、

時間をかけて、何周も読み込み何度もノートに書きこんでいたあの時間が

バカらしくなるくらい膨大な知識が次々と入ってくるのがおもしろかった。

 

 

 

 

 

 

 

卒業した先輩の結婚式にも参加した

 

 

大学始まって最初の最初に知り合った尊敬する先輩である。

卒業してしまった先輩とはほぼ疎遠になってしまうものだと思っていたが、

結婚報告を受け、自宅に結婚式の招待状が届いたときは嬉しかった。

 

 

学生の身だったこともあり、

大した金額のご祝儀は包めないことが非常に申し訳なかったが、

祝いの言葉を届けたい気持ちが大きく、参加の意を伝えた。

 

 

会場は煌びやかで、卒業した同期や先輩との数年ぶりの再会に感動した。

おそらく唯一学生としての参加者だった自分は、

社会人の風格をまとった皆に気後れしつつも、

喋りの感じは大学生のころと全く変わらない面々との再会は嬉しかった。

 

 

 

式は感動した。

 

 

親しかったかつての先輩が全く別の人のように見えたし、

夫妻ご両親の涙につられて泣きそうだった。

何よりも新婚夫妻がとても幸せそうだった。

 

常に暴言と暴力を振るう親を見て育った自分は

 

「結婚なんてお金の無駄!」

「子供なんてただのコスト!」

「彼女との関係も崩壊させる悪魔の契約!」

 

というあまりにも極端な考えを持っていたのだが

そんな拗らせ大学生の思想は180度変わり、

 

家庭を持つということに少しの憧れを抱くようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚式は2次会でお酒を飲んで一泊する予定だったが、

式の雰囲気に完全に打ちのめされていた。

なんだか学生の自分がいることが場違いな気がして自宅に帰ることにした。

 

 

別の先輩に車で送ってもらう中で

先輩の職場についてや、自分の現状について軽い雑談をした。

 

「もっと社会人になりたいと思えるような、希望ある話をしてくださいよ!」

 

と、社畜煽りをかましつつも、

大学生がなんて気楽な身分なのかということを改めて痛感する。

年を重ね、挫折にも似た経験をし、

だいぶ大人になったつもりでいたが所詮は学生だ。

24歳、クソガキだった。

 

 

 会話の中で

 

「チョクならなんとでもなりそうだけどな」

 

という言葉をもらい、

これが大きな後押しになった。

 

 

また、一緒に式場に向かった同期の

 

「大学卒業できなかったらお前と友達やめるわ」

 

という冗談交じりの喝も、

しっかりと心に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

来年度で大学7年生になる。

 

卒業後の進路はどうなるかわからないけど

 

とりあえず卒業まで、

もう少しだけ頑張ってみよう。

 

 

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つづく

 

10話→

留年4回したとある大学生の話【第10話】フリーターになろう - @choku1stの雑記

 

 

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

 

 

 

 

 

 

 

留年4回したとある大学生の話【第8話】はじめてのカウンセリング

 

 

 

【5年後期】

 

 

 

 

 

大学5年生の後期、

私は早々にとても落ち込んでいた。

 

フル出席が必要な科目を、

1日目に落胆確定させてしまったのだ。

寝坊である。

 

 

精神を鍛えるべく励んでいた筋トレが、

寝坊対策効果を発揮できなかったのである。

 

筋肉だけが大きくなり、

積み上げた自信が喪失していった。

 

 

 

 

運よく、後期始まって最初のバスケサークルの活動に顔を出すことができたので、

約半年ぶりのバスケをした。

 

バスケットボールってこんなに軽かったっけか。

筋トレの影響で、バスケットボールの重さは

体感バレーボールくらいになっていた。

久しぶりに放ったシュートは

豊玉戦の桜木花道さながらに、

ボードの向こう側へ落下した。

シュートに関しては、

すっかり初心者クラスになってしまっていた。

 

 

かなしくなった

 

 

 

必死にブランクを取り戻そうとシュートを打ち込んでいると、

後輩たちのとある会話を耳にする。

 

「○○が3年ぶりに大学戻ってきたんだってな」

パニック障害だったらしいよ」

「なにパニック障害って」

「なんか精神的な病気で、人前にでられなくなっちゃうらしい」

「それで大学来れなくなってたのね」

 

はえー、そんな病気があるのか

 

 

最初は聞き流していたが、

次第にその生徒がどのように大学に来なくなったかの経緯が、

徐々に生々しくなり、

どこか他人事のように思えない内容になっていった。

 

心当たりがありすぎたのである。

 

 

会話が終わって試合が始まるまで、

その話の輪に合流し、

ビンビンに聞く耳を立てていた。

 

 

 

活動が終わって帰宅しても、なかなか寝付けなかった。

 

 

会話の内容が頭をぐるぐるして、

カウンセリングに行ってみようかなという気になっていた。

しかし、自分が精神病を患っているなんて認めたくはなかった。

第一、通院するためのお金なんてない。

根性で乗り切らんか

 

 

絶対に寝坊すまいとその日は徹夜して大学に行ったが、

謎の睡眠欲は数日たつとまた発生してしまった。

 

 

はやくこの現状を打破したい。

 

そんな思いからついに、

大学で実施している無料のカウンセリングを受けることを決意する。

 

 

もはや手段を選んでいる余裕はなく、

藁にも縋る思いだった。

 

とりあえず受けるだけ受けてみよう、

病気ではなくただの怠惰な大学生、

そんな診断結果をもらえば前に進めるかもしれない。

行くぞ行くぞ行くぞ。

 

 

 

 

 

 

「――――――当診療科は、完全予約制です」

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________

 

 

 

【予約編】

 

 

 

 

 

カウンセリングを受けることのハードルは想像以上に高かった。

 

 

 

 

その扉を叩くための精神的なハードルも高かったが、

物理的にはもっと高かった。

 

 

 

予約は何日も、

よく見るとその次の月の月末までびっしり埋まっており、

奇跡的に空いていたのは1か月後の限定された45分だけだった。

 

 

恐ろしい。

 

心を病んだ大学生ってこんなにいっぱいいるのか???

 

 

そういえば寮にいた頃も、

同じフロアの人間が自◯未遂してたっけ…

 

 

 

知りたくもない事実だったし、

そんな人たちの仲間入りをしてしまうのかと、

来たことを死ぬほど後悔した。

 

 

 

「どうしますか?予約入れますか?」

 

 

少し断りたかった。

しかし現状を打破したいと願う自分も、

その断りたい欲望につばぜり合いをする。

 

 

「ちなみに次開いてる日は...3か月後です」

 

ワイ「予約入れます」

 

 

 

嘘やろ…???

カウンセリングの予約って3か月も埋まるもんなの???

 

有名外科医の手術かよ

 

 

もしかしてこの大学の先生、超の付く名医なのかな

 

 

悩みが解決できるかもしれない僅かな可能性、

それが1か月後に手に入る、

 

更にその次のチャンスが3か月後だと?

 

”カウンセリングの予約が取れるチャンス”

それ自体の希少性を理解した瞬間、即決していた。

 

 

 

大学の闇を垣間見た気がした。

 

1つの大学につき10人くらいは精神科医を配属すべきではないかと本気でそう思った。

 

 

自分は死にたいと思うほど思いつめたことはなかったが、

仮にそこまで追い込まれた大学生がいたとしたら…

 

初診を受ける前にこの世からいなくなるのでは?

 

 

なんて想像をしたらますます恐ろしくなってきたのでやめた。

 

 

 

 

________________________________

 

【初診】

 

 

 

1か月が経過した

 

平日は相変わらず朝起きることができず、

途中からどうせ起きれないならと大学に行くのを諦めていた。

気乗りしなかったためサークルにも顔を出さなかった。

 

生命線である資金源を断っては命にかかわると、

週末のバイトは寝坊回避のため徹夜して向かった。

辛いカップ麺、コーヒー、ブラックガムなど

あらゆる眠気覚ましアイテムを駆使して眠気と格闘する。

休憩時間に睡眠を取ることができるため、

出勤時刻に間に合えば勝ちの精神である。

 

 

 

そんな生活を続けていたもんだから、

なんとか報われたいという思いで初診が待ち遠しかった。

 

ちなみに初診当日も眠気覚ましの三種の神器を用いて寝坊を回避しており、

体調は絶不調の頂点だった。

 

 

 

 

コンニチハ~、予約したチョクです~。

 

 

 

尋ねるとすぐに、

受付でアンケート用紙と体温計を渡された。

 

どうやら最初の15分で体温を測りつつ、

このアンケートに回答して、

その結果をもとに診察するというシステムのようだ。

 

 

 

 

体温計をわきに挟み、

私はアンケートに回答していった。

 

3問くらい答えたところで、

アンケート用紙の全体を眺めて笑ってしまった。

 

 

 

「死にたいと思い詰めることがよくあるか」

自傷行為をすることがよくあるか」

「物を食べても味があまりしないか」

「体がだるく疲れやすいか」

 

 

 

いやいや

これ「はい」って答えるほど

病気ポイント加算されるやつですやんw

 

 

 

ここで予約を断りたがっていた時の自分、

病弱認定されたくないという謎のプライドをもつ自分が出てきて、

 

5.強くあてはまる

4.ややあてはまる

3.わからない

2.あまりあてはまらない

1.全くあてはまらない

 

のような5段階くらいのチェックだったと記憶しているが、

極力1もしくは2に丸を付け続けた

 

お前はなにをやっているんだ

 

 

 

 

アンケートへの回答が終わり、

しばらくすると診察室へ入る許可が出た。

 

 

男の先生だった

 

 

「えーチョクさん、まずは勇気を出してここに来てくれてありがとうございます」

 

 

 

なんか涙が出てしまった。

 

その一言で全身の緊張が完全に解かれ、

ついでに涙腺の緊張も解かれてしまったらしい。

アンケートに不誠実な回答をするという

直前の行動に対する罪悪感もあった。

 

 

スイマセン…と言ってティッシュをいただき、

 

 

 

 

 

 

カウンセリングでは色々なことを聞かれたが、

 

 

アンケート用紙の誘導(?)に意地を張っていた、

ヘンなプライドを持った自分を捨てて、

とにかく質問に正直に答えようと思った。

 

 

また、自分が置かれている金銭的に追い詰められている状況、

やたら寝起きが悪くなってしまった時期や、

その経緯などはかなり細かく伝えた。

 

 

 

 

 

 

カウンセリング終了

 

 

 

 

すっきりした。

 

3か月ぶんのう○こを全部出すぐらいすっきりした。

 

 

しかし先生は頭を悩ませているようだった。

 

 

 

 

「お話は分かりました。

 ただ、私ではなんとも判断しがたいです。

 睡眠導入剤を渡すので、

 とりあえず3日間は様子を見ましょう。

 異変がおこったり、不安を感じたらこちらに電話を。

 そして3日後のこの時間、診療所に来てくださってかまいません。」

 

 

そう言われてとりあえず睡眠薬を渡された。

 

 

診療所には、もう次の悩める大学生が来ているようで

自分も居座るのはまずいと思い、その場を去ることにした。

 

 

アッ、スケジュール埋まってても無理やりねじ込むとかできるんすね

 

 

 

結局病気なのか、そうではないのかは結局わからず終いだったが

睡眠薬なるアイテムを入手したことで、

物事が一歩前進進んだようなきがして嬉しくなったのだ。

 

 

薬をもらっただけでやたらテンションがあがった。

 

 

 

 

その夜、

人生初の睡眠薬だった。

服用の危険性については重々言い聞かされたので、

身辺に危険物無し!

戸締りヨシ!

服装ヨシ!

とチェックをしながら服用して布団に入った。

 

 

体感では、目を閉じた瞬間朝になったようだった

 

中学時代からの習慣で、

いつもは布団に入ってしばらくは、

1日の出来事を頭の中で復習して寝落ちするのを待つようにしていたのだが

そんな暇もなく、

目を閉じて明けると7時間スキップされていた。

アラームが鳴る前に目が覚めてガッツポーズをした

 

 

うおおおおおおおおおおおおおお!!

 

 

俺は病気じゃねええええええええ!(確信)

 

 

勝ちを確信した。

勝ち確演出だった。

 

これでかつての生活に戻れる!

カウンセリング受けて本当に良かった!

 

睡眠薬様様じゃないか、神のアイテムだよこれは。

 

 

 

テンションが上がりすぎて、

嬉しすぎて、

その日は講義があったが自主休校とし、

1日中ゲームをやり込んだ。

 

寝ざめすっきり、

日中も眠くならないだけでやたら嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

その翌朝

カウンセリングから2日後の朝に電話がかかってくる

 

「チョクさん、明日、診療所に来てください」

 

 

 

”来てもかまいません”と言っていたのに”来てください”とは、

あっ、途中経過のチェックと睡眠薬の補充かな?^^

 

「はい!わかりました!^^」

 

声高に了承し、翌日ウキウキで診療所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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【診察2回目】

 

 

 

 

「チョクさん、来てくれてありがとうございます。

 よく眠れましたか?」

 

 

ワイ「はい!!睡眠薬めっちゃ効きました!!^^」

 

 

先生ありがとう、

おかげさまで楽しい日常を取り戻せたよ!

テンションが上がりすぎて

前回の10倍くらいの声のボリュームでしゃべっていた気がする。

 

 

 

しかし

 

「落ち着いて聞いてください。

 実は、チョクさんは少なくとも軽度のうつ状態

 最悪は重度のうつ病、もしくは別の病気の可能性があるということを

 伝えるためにお呼びしました」

 

 

 

 

ワイ「…え」

 

衝撃の事実に声のボリュームは十分の一になってしまう。

 

 

 

先生は続ける

 

「話を聞く限り、ところどころ”うつ”症状はあるのに、

 体を動かしたりできているし、アンケート結果も良好。

 かなり珍しいケースだと思っていたのですが

 会話の中でクズ大学生を自称されていましたが、

 その自覚をし、深層心理では気に病み、

 金銭的な負担を家族にかけさせないという、

 根はかなり真面目なタイプの人間です。

 それでいて自分を奮い立たせるための激しい筋トレ、

 こちらはチョクさんの場合、一種の自傷行為に該当する可能性があります。

 さらには安い白米やプロテイン本当に美味しかったですか?

 云々...」

 

 

自分は全ての質問に「その通りですね…」

 

と小声で答えることしかできなかった

 

精神科ってすげぇ

(後から知ったがこの先生は心療内科だったらしい)

 

 

先生は続ける

 

「しかしうつ病というのは眠れなかったり、

 食欲が出ず食べ物がのどを通らなかったりはするのですが、

 チョクさんの症状はうつ病のものと、

 完全には一致しません。そのため、

 もしかしたら何ともなかったという場合もあります。

 しかしこの睡眠障害は、

 明らかに精神的な部分が原因なので、

 根本を解決しない限り、改善は難しいことは断言できるかと…」

 

 

 

実際は二重、三重のオブラートに包み、

かなり気を遣って事態を説明してくれていた。

 

 

 

ワイ「わかりました。」

 

 

 

 

診療所をあとにし、

事態を全て飲み込み、

帰宅してからは今後の生活をどうしていくか考えていた。

 

 

研究室とこの単位が残ってて…

 

学費がこれくらい必要で…

 

月当たりの生活費がこれくらいで…

 

病院にかかるお金がいくらで…

 

 

 

 

大学に向かう元気は出ず、ほぼ全休した。

 

厳しい現状から逃げるようにゲームをし、

ニコニコ動画Twitterを立ち上げ、

ポケモンを起動し、

wikipediaを眺めてネット上を飛び回る

いつもの廃人スタイルで時間を潰す。

 

 

民間の精神科の受診を勧められたものの、

何か月も先まで予約が埋まっており、

そもそも徒歩圏内にそういった病院がなかった。

受診するためのお金もない。

 

 

マウスとキーボードを脳死で動かし

グラブルを周回しつつアニメを見る

 

時々Twitterをいじっては

 

面白そうな動画を探し、

 

wikipediaを眺める無限ループ

 

睡眠薬は結構な量支給されていたのでゲームが捗った。

 

ニコニコ動画で配信もした。

 

バイトにもしっかり起きれたし、

バイト自体は面白みをなくしていたが、

職場の人間との会話は楽しく、

1日も休むことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして充実した準引きニート生活を送っていくうちに

雪が降り、

2月に差し掛かった頃、

 

 

wikipedia上でとある単語のページに飛ぶ

 

 

 

生活保護

 

 

 

 

ごくり…

 

体にビビッと何か電流のようなものが走り

 

一筋の希望の光が

 

再び見えた気がした。

 

 

 

 

__________________________

 

つづく

 

9話→

留年4回したとある大学生の話【第9話】24歳、学生です。 - @choku1stの雑記

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

留年4回したとある大学生の話【第7話】勤労学生の苦悩

 

 

【5年前期】

 

 

 

「あれ?!チョクさんじゃないすか!?留年してたんすか!笑」

 

 

バスケサークルの後輩に声を掛けられた。

 

 

「実はそうなの(照)」

 

 

私は大学5年生になっていた。

同期はいなくなり、大学での顔見知りが激減した。

後輩しかいない環境になることは若干の恐怖があったが、

それでも大学やサークルへ足を運ぶことができたのは、

人格がよくできた後輩の存在が大きかったと改めて思う。

 

「また一緒にバスケできますね!今年もよろしくお願いします」

 

という言葉に、嬉しすぎて涙が出そうになった。

 ガチで嬉しかった。

 

 

低身長で童顔だったこともあり、

サークルでは自分が1年生に扮して活動し、実は5年生でしたというドッキリが実行され、激減したはずの顔見知りはすぐさま増えた。

大学側に登録されている情報は4年生のままだったが、

サークルメンバーへのウケが思いのほか良かったこと、

そして自分が今何回留年しているのか忘れないようにするために

5年生を自称することにした。

 

 

大学5年生にもなると

「あいつ留年してるんだってよ~クスクス~w」

という態度を取られ、

冷ややかな視線にさらされ、

後輩から距離を取られ、

この間まで敬語で接してくれていた後輩がため口になることを想像していたが、

それらはなかったため安堵した。

 

 

 

 

 

 

しかしある問題が生じたために、自分の心は全く穏やかではなかった。

 

金銭面である

 

最低限のお金を手にしたら、あとは好きなことをやって暮らそう!

お金が全てじゃない!

というマインドだった私は、超のつく倹約家で、

浪費癖もなくタバコも吸わなかったので、

”最低限のお金”の水準が一般の人間よりも更に低い人種だったのだ。

 

 

ならば何故、金銭的な問題を抱えなくてはいけなくなったのか。

それは母親である。

 

 

実は実家に帰省(※5話参照)した際に違和感があったのだ。

なんか昔と部屋の間取りが違うな、

なんかモノ増えてるな

 

そう、奨学金は母親の手によって使い込まれていた。

最悪である。

 

 

私は激怒した

 

 

自分も完全に盲点だったのが、奨学金が振り込まれる口座は、

自分が未成年だった時に母親が作ったもので、

まとまったお金が必要になったとき以外は利用しない、

言わば緊急時用の家族共用の口座だったのだ。

 

母親の言い分としては、新たに生まれた赤ん坊の養育費は

「短期的に発生する大きいお金なので自分の口座に送金した」

赤ん坊の誕生は緊急事態

 

とのこと。

 

 

 

いや部屋の間取り変わってたし!

明らかにリフォームしたよな!?

 

 

「赤ん坊の部屋必要になるから」

 

 

 

いやそれ小学生になったらでよくない!?

 

 

 

理屈ではなく感情で動く生き物のようで、

こちらの言うことに耳を貸す気配がない。

 

長いこと言い合いが続いた。

 

最終的には

「4年間も留年するなんて親不孝!そんなことのために奨学金があるのではない!」

 

と、要約するとそんな内容の罵声を

色々浴びせられたあたりで言い返すのをやめた。

 

 

そう、留年は”悪いこと”であると考える自分が、

確かにそんな気もすると感じて、気持ちが折れたのだ。

 

とはいえ、

学業を奨励するお金を家のことに使うのはどうなんだ、

という怒りが完全に収まったわけではなく、

 

「てめーとは縁切るわボケ!」

 

と言い放ってスマホを放り投げ、

1時間弱の口論は終了した。

 

体罰、罵倒、なんでもありの母親に

どんな理不尽なことをされても堪えて育ってきた自分が

 

親を”てめー”呼ばわりしたのは生まれて初めてのことだった。

 

お金の恨みは人を根本から変えるのだ。

 

 

ちなみに絶縁してはいないので安心してほしい。

ただ、この事件をきっかけに

 

 

「母さん」と呼んでいた母親のことを

「あなた」と呼ぶようになり

兄弟との会話の中で、母親を指す三人称が

「母さん」から

「母親」になった

 

母さん今日何時に帰ってくるの?

→母親は何時に帰ってくるの?

 

 

子供ができたら、こんな金銭トラブルは絶対に起こしたくないという

反面教師の鑑である。

※親ディスりブログではない

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、

大学生を続けるには大量の資金が必要になった。

 

奨学金を学費にあてつつ、

週2でバイトしてダラダラと生活。

そのうち卒業してフリーター生活。

 

…という計画が完全に白紙になってしまった。

 

学費と生活費をどちらもバイトだけで稼ぎながら大学に通う、

というのはかなりハードルが高かった。

というか、全日制の大学生ではほぼ不可能だろう。

 

休学すればいいのでは?

と、思う方もいるかもしれないが、

大学生なら必ず通過する

 

「ラボ」「ゼミ」「研究室」

 

こいつを倒すのに必要な時間と、

 

「開講年度と時限の被った必修科目」

 

こいつを倒すのに必要な時間を考慮すると、

卒業するためには休学はできなかった。

 

しかもこれらの科目、

省エネ戦法で単位を取ってきた自分にとって、

最難関である「出席」が必須であることが逆風となり、

一気に身動きがとりにくくなった。

 

 

 

 

_____________________________________

 

 

 

 

 

 

 

【錯乱編①】

 

 

私はとりあえずバイトを増やした。

車を持っていなかったので、

自分の足で行けそうなバイトを探し、

時には車持ちの後輩を誘って距離のある単発バイトにも赴いた。

内職にも挑戦したがコスパが悪すぎてやめた。

 

 

この時期は本当にきつかった。

 

寮のようにいつでも大学と自分の家とを移動できる環境ではなく、

電車による時間拘束も生じたため、

バイトの日程を効率よく組むことができず、

口座の残高が思うように増えないこと、

そして学費の納期が近づくことで、

ガチで胃袋に穴が開きそうだった。

 

納期に追われた結果、

保険で多めに取っていた卒業には不要な単位は切り捨て、

時間をバイトに充てるようになる。

 

もはや学生ではなく、

ほぼフリーターと言って差し支えないスケジュールだった。

 

ストレス要因は他にもあった

サークル問題児に振り回されたり、

大会の日程ともにらめっこしながらポケモンを育成したり、

古戦場走らなきゃいけなかったり…

 

 

いやいやゲームやめればええやん

 

至極もっともなツッコミだが、

追い詰められた人間はそんなことを考える余裕はない。

人に迷惑を掛けてはいけない

 

その一心を胸に、あらゆる活動に対して時間を割き、

あらゆる事象に全力を尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________________________________________________________________________

 

 

 

 

 

【錯乱編②】

 

 

大学5年目の夏休みになった

 

自分はひどく落ち込みながらバイトに勤しんでいた

というのも、

前期に履修した科目の試験を全て寝過ごしてしまったからである。

 

これまでアラームに気付いたが二度寝

というパターンはあったが、

アラームに完全に気付かない寝坊を、

数日間連続でやらかしてしまうのは初めての経験だった。

更には、午前中に寝坊してしまったが昼間には目覚め、

午後の試験は出れるという日も、

なぜか気が付くと眠っていて起きると夕方になっている日もあった。

 

 

 

ショックだった。

どうして試験日に起きれなかったのだろう。

 

 

そんな後悔の念を抱きつつ、夏休み中盤に差し掛かる。

このあたりから生活が悪い方向に変化した

 

 

暇さえあれば眠るようになってしまったのだ。

 

 

三度の飯よりもゲームが大好きだったはずなのに、

暇な時間にゲームをしない。

 

時々

眠くないな、モチベーションあるから周回しよう!

といった日が訪れてやり込む日もあるが、

基本的には欲求の優先度が娯楽よりも睡眠に傾いていった。

 

 

また、今日は19時からバスケだな!行こう!と決意した日も

日中に眠ってしまい、

気が付いたら21時になっていた、

なんてことも増えていった。

 

 

 

次第に

 

サークルの時間、

ゲームでの通話の待ち合わせ、

果ては友達との待ち合わせにすらも起きられなくなり、

 

「ごめん寝落ちしてた」

 

というメッセージを送信する機会が増えていった。

 

 

 

 

 

何が「ごめん寝落ちしてた」だよ...

 

 

と、私は深く自分を責めた。

 

オンラインの待ち合わせであろうとも、

そこには自分のために時間を作って待っていてくれる”人”がいるのだ。

 

「ネット上の相手も、人であることに違いはない」

「ネットもリアルも、そこには何の違いもない」

 

オタク文化に長いこと触れていた自分は、

そのことを人一倍理解していた。

その上、体育会系の部活やサークルで過ごしてきた身でもあったため、

”人との約束の時間を守れない”自分に激しい苛立ちを覚えた。

 

 

 

※大学の講義開始の時間は守らなくてええんか?というツッコミはナシでたのむ

 

 

 

 

そして、夏休みが終わるころには

バイトに出勤する時間にすら起きれなくなってしまっていた。

 

 

なんて根性のない人間なんだろう、

もう一度心を1から鍛え直さねば。

 

 

 

 

 

そうして、可能な限り毎日ウェイトトレーニングをした。

健全な精神は健康な肉体に宿ると言うしな

 

己の限界を超える!!

 

その一心でベンチプレスを、

普段より重い重量で、より多くのセット数でこなしていった。

 

成果は筋肉になって表れ、

ひと月もすると明らかに自分の大胸筋は肥大していた。

 

成果が目に見えることは自信につながり、

さらに強度を上げていった。

 

 

 

やはり筋トレは気持ちがいい。

 

終わった後の疲労感と達成感は心地よく、

水道水がとてもうまい。

 

 

そしてプロテインがうまい。

極限まで節約していたため、

脱脂粉乳のような味の激安プロテインだったが、

追い込みを激しくしたせいか、うまい。

 

 

さらにはごはんがうまい。

ネットで手に入れた激安の古古古米だったが、うまい。

 

実家では会津コシヒカリというかなり高価な白米を食べて育ったのでコメの味にはうるさいと自負していたが、全然いけるじゃないかとむしゃむしゃ食べた。

 

 

うまい。うまい。

 

 

 

 

 

 

 

うまい。

 

 

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つづく

 

8話→

留年4回したとある大学生の話【第8話】はじめてのカウンセリング - @choku1stの雑記

    

 

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留年4回したとある大学生の話【第6話】自分のやりたいこと

【4年後期】

 

 

 

夏休みの交流会は楽しかったなぁ

 

 

休みが明けると間髪を入れずに

同期と最後のスポーツ大会

同期と最後の打ち上げ

同期と最後のカラオケ

同期と最後のボウリング

同期と最後の麺!

 

 

あらゆる同期と最後の○○系のイベントを終えた。

 

マジでいなくなっちゃうんやなぁ

 

 

 

しんみりするイベントが波のように、次々と押し寄せてくると

 

「こいつらは来年から大学にいない」

という事実が、

前々からわかっていたことなのに、

その時が近づくとだんだん胸に刺さってきて落ち着きがなくなるのだ。

 

これは何歳になっても変わらないなと思った。

 

 

 

 

同期がいなくなる前に色々と話そう!

 

ふと思い立ち、サシだったりグループだったりで色々と飲みに誘った。

 

大学4年生あるあるだと思うが、

酒が回ってくると、皆だいたい就活での体験談や、

卒論の苦労話、就職した後の自分の将来像について語るのだ。

 

「人事にこんな質問されて固まったが受かった」

「この企業はここを重点的に聞いてくる」

「俺はこの資格を生かして就活するためにこの教材を買った。」

「卒論は自分の私見で語ると跳ねられるから、本に語らせた。」

「将来はここに家を建てて、事業も始めたい。」

 

などなど。

 

かなり勉強になる有意義な時間だったが、なによりも

思った以上に同期は自分の将来について考えていたし、

かなり頭をひねって就活していたことに驚く。

普段は中学生が笑うようなギャグしか言わない奴も、こんなに将来のことを考えて勉強していたんだなと、かなりの衝撃を受けた。

 

 

そして尋ねられたのだ

 

 

「チョクはなんかやりたいことないの?」

 

 

考えたことがなかったので固まってしまった。

 

もともとは教師になりたかったのだ(※1話参照)

しかし、教員を目指す先輩方の教育実習での過酷な体験談を聞いたり、

地元で部活の顧問をしながら進路指導の資料つくりやテストの採点をする先生方を見て諦めていた。

そもそも単位を落とし過ぎてクズ大学生活を送る自分にはもう不可能な道だった。

 

そして

「やりたいことから逆算すると研究テーマにも身が入る」

 

という言葉を聞いた。

いい言葉だった。

その時、自分の中に1本の線が通ったような気がして、

やりたいことを考えたことが無いのにも関わらず、

あ、卒業できるかも!と思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

________________________________

 

 

【しょうらいのゆめ】

 

 

 

4年の春休みになる少し前だったと思う。

 

 

飲み会から帰宅してすぐに、

自分のやりたいことを書き出していった。

 

ゲーム

ポケモン

アニメ

マンガ

カラオケ

ボウリング

バスケ

グラブル

 

 

「同期が言ってたのってこーゆーことじゃないよな?」

 

そう思いながらとりあえず書いていき、

一覧を遠くから眺めて

 

「ゲームを作る仕事とかどうや?」

 

一瞬考えたがすぐにこのアイディアは否定された

 

 

3年連続で落としている情報系の科目があり、

プログラミングに対するアレルギー反応があったのだ。

 

自分ゲーム大好きだけど、

「ゲームをするのが好きなのであって、作るのは別に好きじゃないわ」

 

 

 

漫画家なんかはどうや?

絵は描けないけど

 

 

声優はどうや?

演技できないし声良くないけど

 

 

プロゲーマーとかどうや?

プロが居るゲーム全く興味ないけど

 

 

 

 

どれも現実的ではなかったが、

とりあえずそれら職業について調べた。

調べていく過程で、

不可能だと判明した。

 

自分も長いことバスケットボールをやっていたので、

1つの道を究めることの難しさはよくわかっていた。

そのため、それに費やす時間とリスクについても身に染みてわかってしまっていたのだ。

NBA選手になるには、

いったい何人の相手を蹴落とさなければいけないのだろう。

いったい何人の蹴落とされた人間が、別の道に進んだのだろう。

声優も漫画家もプロゲーマーも本質は変わらないことに気付いた。

 

自分はやったことのない競技のプロ選手になりたいと言っているのと、

何も変わらなかったのだ。

分不相応にも程がある。

 

 

やりたいことで飯を食うってできないな?

 

 

 

 

 

 

やりたいことで飯を食える人間は、

宝くじを当てられるのと同等の運が手元にないといけない。

自分にそんなものはなかったので別な道を探った。

 

 

 

グラブルポケモンだけやって生きたいな~~~~~」

 

隣に住んでいた同期は卒業していなくなり、

騒音のクレームがない寮で声に出していた。

 

 

 

 

グラブルポケモンだけやって生きたいな~~~~

 

グラブルポケモンだけやって生きたいな~~~~

 

グラブルポケモンだけやって生きたいな~~~~

 

 

 

 

 

 

…あれ?もうこの夢かなってるんじゃね?

 

 

 

 

そう、

自分はゲームやアニメ、

バスケやボウリング、

カラオケなど

 

好きなことだけやって、

それだけで生きていくという夢を、

 

叶 え て い た 

 

のである。

 

 

 

 

うおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 

 

 

 

 

世紀の発見であった。

 

そうかわかったよ!

卒業していった同期たちに心から感謝の意を表したい。

 

「チョクはなんかやりたいことないの?」

 

あったよ!!!

 

そして既に叶っていたよ!!!

ワイはゲームして、

アニメ見て、

バスケして、

ボウリングして、

カラオケして、

マンガ読んで、

グラブルして、

それだけで生きていけてたよおぉォオオオ大オオオオォ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________________________________

 

 

【後日談】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月25日

 

 

大学生になって、もう4年も経つのか

早いものだなぁ…

おやおや、隣の部屋にいるのは...新入生の親御さんかな?

 

はじめまして。

私、4年生のチョクと申します。

明日、この寮を出ようと思います。

この部屋はそうですね、

共用のキッチンにて、おもしろい中国人留学生の先輩が、

色んなスパイスを使って料理するので、

その匂いがここまで届いてきます笑

先輩方みんなお優しいので

とてもいいところですよ(にっこり)

 

それでは私、退寮の手続きがございますので、これにて(一礼)

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は学生生協に付属されたATMに向かっていた。

空は青く、心も透き通るよう。

新しく寮に入る学生と、その親御さんでかなり賑やかだった。

 

夢を叶えた自分はまるでイエスキリストにでもなったかのようだった。

今なら何をされても許せそう。

急にビンタされても許せる。

う○こ投げつけられても許せる。

そんな広く穏やかな心で、

アルカイックスマイルで、

スキップまではしなかったが、それに準ずる歩きを見せつけていた。

 

 

 

今年も最高の1年になる

何故なら私のやるべきことは決まったのだ

それはだった1つだけ

 

 

現 状 維 持ドーン

 

 

 

 

何故今まで気付かなかったのだろう

大学生って最高じゃないか。

好きなことやってるだけで生きていけるんや!

こうなったらあと4年間居座って、

大学8年生になっちゃおう!

必要な軍資金はあるし、

バイト側も何年でも居ていいよって言ってくれた。

もう何も怖くない

 

 

 

 

ATMについたぞ

さて、寮はとりあえず出なきゃいけなくなったので、

新居契約のためのお金でもおろさなきゃ、

入居の時って地味にお金かかるんだよな~

 

 

「ご指定の金額は引き出せません。残高をお確かめ下さい。」

 

 

 

 

…おや?

 

 

「ご指定の金額は引き出せません。残高をお確かめ下さい。」

 

 

 

…おかしいな、奨学金はほとんど手を付けていないから200万以上残ってた気がするんだけどな

20万円なんて余裕で引き出せるはずや

今の残高いくらなんやろ

 

 

 

「1145円」

 

 

 

 

 

絶対に許さない(# ゚Д゚)!!!!

 

 

 

 

_________________________________

 

つづく

7話→

留年4回したとある大学生の話【第7話】勤労学生の苦悩 - @choku1stの雑記

 

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

 

 

留年4回したとある大学生の話【第5話】激変する家庭

 

 

 

【4年前期】

 

 

 

ある日ライブキャンパスを覗き、自分の学年をチェックしてみた。

ろくに出席もせず、単位を落としまくり、

学生と名乗っていいのかわからないほど勉強をしない人間は

果たして大学側は何年生という認識をしているのだろうか

 

 

学年:4

 

 

4年生だった

一応形式上そういうことになるのか、もしくは3年次から履修可能な科目が取れていたから4年生扱いなのか、

詳しい仕様は不明だが、大学様がそうおっしゃるなら…ということで堂々と4年生を名乗ることにした。

 

 

バスケのサークルでも一応最高学年ということになり、恒例の自己紹介では

「”4年の”チョクです。よろしくお願いします」

と至極当たり前の挨拶をすることになる。

何もおかしくはない。

 

 

 

学業のモチベーションの方はというと

 

全く上がらなかった

 

 

 

生き方を見つめなおし、深く考えすぎた自分は

「人生は金ではない、必要最小限の金銭と、趣味を最大限楽しめる無限大の時間」

 

 これこそが究極に必要なものであり真理だと思い、

その実現のためには大学を卒業してもしなくても、

正直どちらでもよくて、

ダラダラ通って卒業できたらラッキー程度に考えていた。

さすがに大学をなめすぎである。

 

 

同期はみんな就活に追われ、卒論に追われ、

会う時の服装がラフなものではなく、

しっかりと決まったスーツになっていく。

髪を染めていた人間も黒髪になり、

どこかピリピリとした気配と

大人びた雰囲気を帯びていくようになっていった。

 

一方、自分はいつも通りの

上下ジャージで貰い物統一装備だった。

4年生だが就活をしないのだ。

何て気楽なんだろう。

 

 

正直なところ、

この時はクズ人間であることを特権階級であるかのように考え、悦に浸っていたのだ。

 

「みんなそんなに必至こいて企業分析したりインターンに参加したりして何になるというのかね?^^」

 

「人生はお金じゃないよ^^自分のようにゆとりある心と時間を持つことさ^^」

 

飲み会で就活の大変さを愚痴ったり、

内定がもらえなくて気が気じゃない様子の、

青ざめた顔をした同期に当たり障りのない言葉をかけつつ、

その心笑っていた。

ひどい奴である。

 

お前は就活しないのか?という問いにも

 

しないよ^^

 

と、にこやかに即答していた。

本当にどうかしている。

 

 

 

 

同期が就活やらの試練に苦しんでいる間、

自分はポケモンに打ち込んだ。

 

楽しいなぁ…♨

 

「卵の孵化作業が眠くなったので、ちょっくら大学行くか」

「エアコン代の節約になるし、大学行くか」

 

といった感じで、

授業の真っ最中だろうと、

講義の終わり際だろうと関係ない。

とりあえずレジュメを回収したり

板書をこっそりスクショする。

そして卒業には全く必要のない、

別の学部の科目で空きコマを埋めていたので、

眠くなったらその教室に行き、

話だけ聞きながら不可作業をする。

教室に入った途端温かくて寝てしまうこともあった。

 

そんな最低最悪の学生ムーブをしていた。

 

自分が教授だったらゲーム機を破壊してやりたいし、

昭和の時代であれば顔面にチョークを投げつけてやりたい。

 

 

 

そんな低俗ムーブにより、

単位を落としたり落とさなかったりしながら、

適当にこなしていくうちに”単位数だけは”卒業可能なラインになった。

 

 

 

 

 

__________________________________

 

 

【激変する家庭編】

 

 

 

夏休みになり、

突然母親から帰ってきてほしいと連絡が来る。

 

そういえば何年も実家に帰ってないなと思った。

 

自分は下に妹、

更に下に弟がいる母子家庭で、

3人兄弟の長男だった。

 

さすがに弟や妹が現在何をしているのか気になる。

しかしバス代がもったいないと考えたので、

一応要件を聞くが

母親は相変わらず、

LINEでは自分の打ち込む文字しか読めないらしく、

こちらの問いにはよくわからん答えを返してくるのであきらめた。

 

大学もないし、帰ってみるか。

 

 

 

実に3年ぶりの実家へ帰省である。

 

実は地元には何回か帰っていたのだ。

高校の同期と遊んだり、酒を飲んだり、

はたまた、

出身校のバスケ部の練習に顔を出したりしてはいたが、

そのたびに世話になっていたのは友達の家である。

 

次に母親の顔を見るのは死んだとき、

線香をあげるときだけだ!

それくらいブチ切れていた自分は

母親と会いたくなかったため、

弟や妹とひそかに連絡を取り合い、

母親の留守を狙って帰宅した。

 

 

 

玄関のドアを開けると

 

 

 

 

…見慣れない男の人がいる。

 

誰や!空き巣か?!

 

歳は見た感じ40~50くらいだった。

 

無警戒の状態だったところへの不意を突かれた出来事に

ワイはガッチガチに緊張して

 

「コ、コンニチハ~」

 

とカタコトな日本語を漏らした。

 

謎の男性からは

 

「おかえりなさい。どうぞ上がって。」

 

と優しく言われ、まるで自分の家であるかのような振る舞いに脳が混乱してきた。

 

 

弟も妹も実家にいるものだと思っていたが、いない。

謎の男性曰く、

弟妹は母親に連れられて買い物に行っている

とのことだった。

そして、しばらくして母親が帰宅すると、

母親は妹と弟を2階の部屋へ強制連行し、

テーブルを囲んで

 

<自分 vs 母親&謎の男性>

 

といった体面を作らされた。

 

一 体 何 が 始 ま る の か

 

 

そもそもこの男性は何者なのだ?

 

クズ大学生活にブチ切れて、説教をしつつ自分に対して暴力的な制裁を加えるための、その筋の人なのか

 

体はそこそこ鍛えていたので腕力には自信があったが、

脳内では

 

「殴りかかられた場合こうかわして、こう反撃して…」

 

とシミュレーションしていた。

やはり21歳✊になるとこーゆーことを考えるようになるものなのだろうか。

 

 

 

 

ガチガチな自分に対して2名はにこやかな表情だった。

とても説教するような雰囲気でもない。

 

しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは母親だった。

 

「◯◯さんと何か話せた?」

 

謎の男性のことを指して、出た名前

その名前を聞いて初めてよおおおおおおおおやく思い出した。

その男性は、自分が小学校の中盤くらいに家の面倒を見てくれた男性だった。

どうやら母親は、ワイとこの男性が顔見知りの前提で、

一人で留守番させてワイの帰りを待たせたらしい。

 

 

そんな物心つくかつかないかの年齢の時の大人覚えてるかボケ!!

 

 

内心そうツッコミながらぎこちない営業スマイルをしつつ話を合わせた。

 

こちらは初見で空き巣だと思っていたなんて言えない。

 

 

さらに母親は続ける

 

実は子供ができたの

 

 

ワイは脳みそを動かさないまま

 

「ほう…」

 

とか言っていた。

 

…ん?

どういうことでゴザイマスカ?

すぐさま脳みそを起動し、懸命に状況を整理しないと取り残される気がした。

”子供ができた”がどういうことなのかワイがよく理解できない状態のまま

男性が続けた

 

男性「お母さんと、3年前からお付き合いしていました」

 

 

なるほど完全に理解した!

ワイが大学に入り、家に1人分の空きスペースがタイミングで付き合っていたら妊娠してしまったと、そういうことですね!

 

ワイ「ほほう…」

 

なにがほほうやねん

 

 

男性「お母さんと、結婚させてください!」

 

 

いやそれワイが判断するんかい!

 

 

母子家庭の場合、母親の再婚の可否は

長男が認めるものなんですかね?

 

脳が処理する時間を稼ぎながら首を縦に何回か振り、

 

「癖の強い母親ですが、何卒よろしくお願いします」

 

と言ってお互いに深々と頭を下げた。

めでたしである。

 

 

 

 

母親「おととい入籍してきたんだ」

 

いやワイが判断する前に結婚してるんかーい!

 

 

 

祝いの気持ちが7割くらい減少し、

あきれて笑いながらそうですか…と言うしかなかった。

 

とんだ茶番である。

 

”玄関でエンカウントした空き巣は実は新しいパッパだった” 講談社

 

 

 

母親「赤ちゃんもうすぐ1歳と2か月になるんだ」

 

 

いや既に子供生まれてんのかい!しかも

生まれてからけっこう時間たってますやーん!

 

 

茶番にもほどがある

 

 

 

どうやら赤ん坊は男の子らしい

 

21歳クズ大学生は、知らない間に20歳下の弟をもつことになっていた。

 

 

 

 

 

 

その夜はすき焼きだった。

クソ高い肉と賑やかな食卓は

自分の家とは思えない空間だった。

 

そして食事の最中の会話にて、

弟は大学進学に向けて勉強中、

妹は地元の優良企業に就職を決めたことを知る。

 

実は我が家は全員絶望的におバカ家系なのだ。

弟は自分と同様の強豪ミニバス、強豪中学校、高校で結果も残しており、運動面の実績はあるものの勉学は下から数えたほうが早い。

妹は勉学も運動もできずどちらも下から数えたほうが早い。

 

 

そんな組み合わせの兄弟だった上に、

あらゆる親戚や、なくなった先代を含めても大学に進学したのは自分だけで、

貧乏な家庭環境も相まって、高校時代は

 

 

「まともな人生歩める人間はこの家でワイだけや」

 

 

と、失礼すぎる偏見と、

謎の使命感に燃えて勉強に勤しんでいたが、

この時すでに

 

 

「まともな人生歩んでないのこの家でワイだけや」

 

 

という自覚があったので、

とてもみじめな気持ちになった。

 

 

そんな気持ちを払しょくすべく、

「そうか~お前(妹)があの企業にな~^^よく受かったな~^^」

「そうか~お前(弟)が大学か~^^もっと肉食え~^^」

と、全力で褒め倒した。

 

他人を褒めると何故かこちらもいい気持ちになるもので、

肉をつまむ箸が止まらなかった。

 

 

 

 

こうして超貧乏母子家庭は、

働き手3人、学生2人、赤子1人

のまぁまぁな家庭にアップグレードされたのであった。

(されていたのであった)

 

 

 

 

 

 

クズ大学生が普通の大学生にアップグレードされるのは

一体いつになるのだろう

 

 

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つづく

6話→

留年4回したとある大学生の話【第6話】自分のやりたいこと - @choku1stの雑記

 

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

 

 

 

留年4回したとある大学生の話【第4話】ポケモンサークルとの邂逅

【3年前期】

 

 

 

 

 

大学3年生になる少し前、

新学期が近づいても相変わらず大学に行くモチベーションが湧かなかった

 

ポケモン楽しいいいいいいいいいい」

メガガルーラちねちねええええええ」

 

そんなことを言っている間に

ふとTwitterを見ると妙な通知が来ていた。

 

 

 

”某国立大学ポケモンサークルさんがあなたをフォローしました。

 

 

 

ぽ、ポケモンサークル????

長いこと部屋から出ずにポケモンしかやっていなかった私は震えた。

まずうちの大学にポケモンサークルなんてサークルがあったのか?

新歓では名前は見当たらなかったが、

どこでどんな活動をしてるんだ?

 

 

非常に強い興味が湧いたので秒でフォローバックした。

すると秒でDMが届いてさらに手がブルンブルン震えた。

 

 

 

 

 

 

連絡を取り、待ち合わせ場所である学食へ向かう。

これまた心臓がものすごくバクバクする。

当時は意識していなかったが、

SNSで知り合った人間と実際に合う行為、

所謂オフ会だったのだ。

 

人生初オフ会なんて緊張して当然である。

指定の場所に近づくと、

きょろきょろしている自分を察知してか手を振ってくれた。

そして一目見ただけで、

「アッ、この人たちポケモンやってるわ」

ってわかる雰囲気(←失礼)の3人と出会う。

ポケサーの創設メンバー3名である。

 

 

 

話を聞くと、

どうやら大学には登録されていないサークル、

所謂”有志団体”という状態で、

学食やメンバーの家などに集まって活動しているそうな。

更には大学対抗のリーグ戦にも出場するとのこと。

 

 

 

 

楽しそう(小並感)

 

 

 

ポケモンは家に引きこもってやるもの、

ポケモンの友達はネットで作るものだと

そう思い込んでいた自分は衝撃を受け、

話を最後まで聞き終わる前に入部を決意していた。

ポケモンについてコアな話ができる人が大学に居て、

その人たちが集まって一緒に喋れる

ということ自体がもう嬉しかったのだ。

 

後に2名が合流し、

自分を含めた6名で活動していくことになったが、

この”サークルではない謎の団体”が

学食にあつまってゲーム機を持ち、

気持ち悪い笑みを浮かべながら話をする集会、

通称ポケサーに入ったところから大学生活の第2章が始まることとなる。

 

 

 

 

 

 

新学期になってもやはり、大学に行くモチベーションは上がらなかった。

 

この期に及んでも、である。

 

ここらでさすがに皆さんは、

 

「学費はどうしてるの?」

「親はなんて言ってるの?」

 

といった疑問が浮かぶと思うが、

結論を先に述べると

 

学費は全部自分がバイト代と奨学金で賄えていたし、

親はめっちゃぶちぎれてた

 

そう、

国立大学の学費の安さ、

寮の激安の固定費と、

成績優秀者?貧困家庭?に渡される貸与型の奨学金と借金タイプの奨学金

そこにバイト代が加わって

学生一人でも貯金が作れる環境ができあがってしまっていた

 

これでは留年によって生じる問題の1つであるはずの

”金銭的な危機感”が生まれない。

 

更に自分一人で大きくなった気でいた自分は、

学費も仕送りも1円も出してないくせに留年することについて怒ってくる親に逆切れしていた。

※今でも8割くらいは自分で大きくなったと本気で思っている

 

さすがに留年する子供に親が怒るのは当たり前だと思ったが、

 

自分の金で留年してるんだから自分の勝手だろう(ふんす!)

 

という私側の言い分が通ってしまい、

何も言い返してこなくなった。

 

すったもんだありつつも、

金銭的、人間関係的に余裕()ができてしまったこと、

更にはポケモンサークルの活動も盛り上がってきたこともあり、

自分の中で大学が割とどーでもよくなってきていた

序列で言うと第3位ぐらい

 

学生なのに本業であるはずの学業の序列がかなり下がってしまっていた

 

 

 

 

というわけで3年生の前半も

試験日と実験系科目以外全く大学に行かなかった。

世の中にはこんな狂った考えのヤバい人間もいるのだ。

 

 

 

 

 

 

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【ポケサー交流会編】

 

 

大学も3年生の夏休み。

ポケモンサークルの居心地が良くなってきたころに、

他大学との交流会があるそうで、

興味本位で参加してみた。

 

これが結構な人数が集まるオフ会で、

他の大学のポケサーの規模の大きさに驚いた。

えっ、女の子がいる!

何十人いるんやおい

語彙力がなさすぎるオタク、

淫夢語録だけで会話するホモ、

性玩具を集める帰国子女、

ポケモンうまいガチムチの韓国人など、

キャラが濃すぎる人間がいっぱいいた。

 

自分はだいぶヤバい奴であるという自負はあったが、

ヤバさのベクトルの向きは違えど、

その大きさは自分をはるかに凌駕する面々を前に、

”単位落として留年が確定してる奴”程度の

つまらんキャラ設定の自分がかなり霞んでしまって、

井の中の蛙感を味わった。

 

この経験はかなり衝撃的で、

とても元気をもらえたのを覚えている。

 

あと中学高校の同期と再会してわああああああってなった♨

 

 

これがめちゃ楽しかった(KONAMI感)

 

 

頭がいい大学が作るクイズはレベルが高いし、

ポケモン強い人いっぱいいる!すごい!

パーティー作りの発想が勉強になる!

何よりモチベーションが高い人間が集まっているだけでかなりの刺激になり、

ポケモンというコンテンツが更に好きになった。

ポケモンが好きという共通点から派生して

ラブライブアイドルマスターなど

別のオタコンテンツの話が弾んだのも高ポイントだった。

推しも布教したしされた。

 

 

焼肉もおいしかった。

2000円弱、学生向けの安い肉を使った食べ放題なのだが

これが何故かおいしい。

 

体育会系特有の飲ませや下品なコールもない、

ただ笑いながら肉を頬張るだけで

いつもの飲み会より圧倒的に充実している気がした。

オタクと食卓を囲むひとときは新鮮で格別な空間だったのだ。

 

”オタクと食べる飯は美味い”

と脳に深く刻まれたのはこの時である。

 

オタク トモダチ

オタク タノシイ

 

 

またこの時期に新しいソシャゲを始めてしまう。

 

グラブルこと

グランブルーファンタジーである

 

はい。

 

この頃は単に話題作りのために始めようとしたのがきっかけだった。

後輩も、交流会で知り合った方々も、

みんなやってたし…

 

メインのゲームはポケモンだったので

当時は大してやり込みはしなかったが、

強い編成を組むのに膨大な時間がかかることは分かったので、

長くできそうだと思いチマチマと触っていった。

 

 

 

 

 

 

 

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【3年後期】

 

 

「チョクさん大学で見ないですよね、ちゃんと大学行ってるんですか?」

 

ある日、ポケサーの後輩に聞かれてしまった。

若者は正直である。

自分の疑問を素直な気持ちでど真ん中にストレートを放ってくる。

直球すぎたので素直に打ち返すことにした

 

ワイ「行ってないやで」

 

後輩「行かないとまずくないですか?」

 

 

た し か に

 

正論すぎて困ってしまった。

そしてサークルの後輩という見知った顔の人間が

自分と同じ科目をいくつか履修することを知るや、

すぐに大学に行くようになった。

 

何とも失礼な話なのだが、

その後輩はあまり勉強が得意ではなく、

そんな後輩が欠かさず授業を受けているのを見て

「こいつも頑張って授業出てるんだからワイも行ってやるか」

といったマインドだった。

ひどい人間だし、一体何様なのか

 

当時、例のアレシリーズやsyamuさんの動画がマイブームだったこともあり、

”下を見て安心する精神”が身についてしまい、

どんな行動を起こすにもまず

”下を見て心を落ち着かせて動く”ことが習慣化されてしまっていた。

 

クズ人間のクズ化はどこまで進むのか

 

 

しかしながら

ポケモンサークルの交流をきっかけに

よく見るようになったsyamuさんの動画では本当に元気をもらった。

 

「syamuさんでもできる!」

「無職でも楽しそうに生きている!」

 

といった罵倒コメントの数々を引き出し、

人に勇気を与えられる存在であるsyamuさんは、

自分が尊敬する人物の1人でもある。

 

 

ただ、いくら勇気をもらっても

2年近くクズ大学生生活を送ってきた自分には、

そもそも大学に行くというルーチンワークが体に刻み込まれていないため、

無遅刻無欠席のハードルは結構高かった。

 

結果を先に言うと

何科目かは落としてしまったが、20単位ほど取れた

 

真面目に大学生やろうと考えを改めたわけではなく、

「とりあえず行ってみよう」

くらいの、気まぐれに近い軽いノリだった。

 

遅刻も欠席も1科目につき2~3回とかなりの頻度であったが、

それでも4期連続0単位の人間からしたら大きな進歩である。

 

ゲーム9割、大学1割くらいの時間配分になってしまっていたため、

時間のかかる難解なレポート課題には対応できず撃沈していたが、

なんだかんだで卒業に向かって半歩くらいは進んだ。

 

このタイミングで取った第二外国語の単位や

英語の単位が無ければ卒業できていなかったので、

まずくないですか?

と声をかけてくれた後輩には感謝の意を表したい。

そして気まぐれだったとしても、

その声で動けた自分に拍手を送りたい。

 

 

 

 

スポーツ大会前の練習では、体に異変が生じた。

ちょっと動いただけで、

翌日に筋肉痛が発生するようになってしまった。

ハタチを超えると翌日に疲れが残るようになるんやで

と言われていたが本当だった。

既に21歳✊になってしまっていたことに気付き、

時の流れの速さ、

体の老いに若干の焦りを覚える。

大学生活、一瞬で終わるやん。

 

そして3年間丸々経過して、

新しい知識が全く手に入れられてないこと、

体だけが老いていることに気づく。

 

このあたりから、自分の生き方を見直す時期になる。

 

 

 

 

 

雪が降る季節になり、

3年生の終わりに差し掛かると、

ゲーム廃人兼、考える人になっていった。

21歳で「とし取った」だと?10年早いわ!

と言われそうではあるが、

老いを実感し、ネット上やリアルで様々な人と出会って

人生について考えるようになった

 

(※人生について考えてはいるが、大学生を真面目にやろう、授業にちゃんと出ようという考えは微塵もないので、傍から見ても自分から見てもクズ人間には変わりなかったと思うが、振り返るとこの時点でたいぶ成長した人間になっていたことに気付く。)

 

 

”人との出会いは人を成長させる”

みたいなこと誰かが言ってたけど、

これは間違いない。

色んな人との出会いこそ宝や!

 

 

そんなことを学んだ大学3年生は最終学年になろうとしていた。

(最終学年とは言っていない)

 

 

 

 

ポケモンサークルとの出会いは本当に運命的で、

間違いなく自分を動かす力になっていた。

 

当時の自分にとっては

「オタクと集まって騒ぐだけのよくわからん場所」

程度のものだったが、今思えば

留年確定しておかしくなった人間へ差し伸べられた救いの手だった。

 

 

 

 

 

 

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つづく

 

5話→

留年4回したとある大学生の話【第5話】激変する家庭 - @choku1stの雑記

 

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記

 

 

 

 

留年4回したとある大学生の話【第3話】留年確定の引きこもり

【2年生編】

 

 

大学2年生になり、

ウェーイ系の洗脳が解かれ、

どこか落ち着きがなかった自分は

一人称に私を使えるくらいには冷静になれた。

※あとこの辺の飲み会のタイミングでTwitterを始めた

 

雪も溶けていい感じの気温になったころ、

サークルには活気が戻っていた。

スポーツ大会前に活気が戻るのは

その手の男たち女子からの黄色い声援を浴びるためだが、

春先に活気が戻るのは...新入生にいいかっこを見せるため、

少なくとも、かっこ悪いところを見られないようにするため

という不純な動機である。

※純粋にバスケが大好きな人間を除く

 

…というのも半分くらいは偏見で、

もう半分は純粋に新入生に入ってもらいたいからってのはある。

スポーツをするサークルが過疎ってるのは

さすがに致命的なためである。

中学でも高校でも後輩は可愛かったが、

それは大学になっても同じで、

どこか初々しくぎこちない動きの新入生は

見ていると入学したての自分を思い出す。

そして自分はそれを思い出しながら悲しい気持ちになっていた。

 

 

体を動かしている最中は頭を空にできるのだが、

動きを止めるとアレが頭をよぎるのだ。

 

 

留年

 

思い出すと気持ち悪くなったので、

極力体を動かし続けた。

このあたりから、

サークルの友達と共に筋トレに打ち込むようになる。

当たり負けしない体になればなーなんて話をしながら、

半分はがむしゃらになにか運動をしていたいという気持ちだった。

 

 

しかしそんな暗い気持ちを払しょくする事実が判明する

この単位落としただけじゃ留年確定しないらしい

 

そう、私はまだ留年が確定していなかったのだ。

 

4年生のこの時点で履修すれば大丈夫、

そんな事実を、

同じく実験科目を落とした友達から聞き、

 

「うおおおおおお!一緒に頑張ろうな!!」

 

そういって教室の隅で小声ではしゃいでいた。

※その友達は留年せずに卒業していきます

 

心に覆いかぶさっていた黒い雲がパァっと晴れて、

雲一つない青空になったようなそんな気分だった。

 

 

よーし今日から心を入れ替えて真面目に大学に通おう…

 

 

 

 

 

 

 

…とはならなかった

 

 

なぜ?????

と思う方もいるかもしれないが、

この時の私の思考は、

 

「実験科目を落としてしまったので実験科目はちゃんと出席しよう。

でも、それ以外の科目は出席しなくても、

レジュメさえ見れば単位が取れた。

よって、実験科目だけは真面目に出席すべし!

それ以外の授業は出席しなくてヨシ!」

 

と、このようになった。

ヨシ!じゃないが

 

 

そう、

絶望↓からの喜び↑の高低差が大きすぎた反動

と、

結果的には実験以外を優秀な成績で取れていた

という事実から、

 

「自分は勉強しなくてもできる奴!」

 

みたいな、

5周くらいまわったおかしな自信がついてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

こうなるともう大変で、まず寝坊癖がついてしまった。

これは本当に大変。

1限への出席率がほぼ0になってしまった。

時折アラームでしっかりと起きれるものの、

あと5分、あと10分と引き延ばして2度寝し、

気が付いたら昼の11時、なんて日が続いた。

 

こんな寝坊なんともない。

なぜなら自分は勉強しなくてもできる人間だから。

などと謎の自信と開き直りで、

寝坊やっちまった感が湧いてこない、

もう取り返しがつかない状態だった。

 

行くところに行けば手帳がもらえたかもしれない。

 

一度も遅刻したことが無かったバイトも、

このあたりから寝坊によって欠勤するはめになったり、

業務中に寝ることが増えた。

 

そのうち

 

ヨシ!1限は捨てよう!という癖がついた

 

ヨシじゃないが

 

また、2限に運よく出席できた後、

昼飯を食べに寮に戻ると眠くなり、

 

「3限まであと30分あるな、20分だけ寝よう」

 

そう言って布団に入り、

起きたら夕方18時、

なんて日も出てくるようになった。

 

そのうち

 

ヨシ!仕方ないのでレジュメをコピーしてもらおう!

という癖がついた

 

学食で友達に飯を奢り、

レジュメのコピーをもらった。

これを試験前に暗記すれば試験は満点や!

勝ったなガハハ

 

 

といった具合に、

自分は大学に行かずに

レジュメの情報だけ回収してもらう

というクズ大学生になった。

留年の危機を脱した若干19歳の若者は、

心を入れ替えて真人間になるどころか、

クズ度に磨きがかかっていったのである。

 

書いていて、

やっぱり少年犯罪の再犯率は高いんやな~などと思った。

 

 

さらにたちが悪いことに、

当時おかしくなっていた自分は

”勉強せずに結果をだせる自分”にかなり酔っていたため、

この時も声をかけてくれた友達の

「出席日数足りる?」

留年しちゃうよ?

という、

ちょっと前まではその単語を聞くだけで気持ち悪くなっていたような脅し文句にも

まるっきり耳を貸さなくなっていた。

 

更には何を思ったのか、

 

”あいつ全く授業出てないのにA評価だと?”

 

という羨望のまなざしが欲しすぎて、

 

ワイはあえて出席しないんや

 

などとわけのわからないことを言っていた

 

 

 

そして試験が始まるころには

 

本当は寝坊癖のために時間通り起きれていないという事実は全く見えなくなっていた

 

 

 

 

 

 

 

2年の夏休みになり、成績が開示された。

 

F

F

F

F

F

F

F

F

F

A

B

F

F

F

C

F

 

見るも無残なFの並びだった

なぜか清々しい気持ちだったのも覚えている。

必修科目を含め、

あまりにも落とした単位の量が多すぎたため、

ここでようやく

 

留年が確定した

 

 

当然の結果ですと竹内Pも言っている。

朝に弱くなっていた自分は1限開始の試験を

2科目もすっぽかしてしまっていた。

 

他の試験は寝坊はせずに受けて、

しっかりとA評価相当の良い点数を取ることができたが、

そもそも出席が足りないため

試験の結果によらずFになった科目がほとんどで、

出席していた実験科目と、

出席日数を考慮しない科目が取れただけだった。

 

 

イキリ大学生に突き付けられる現実は厳しい。

 

 

このとき自分はなぜか、

ひどく落ち込むのではなく

 

「内容が理解できてるのに出席日数で成績を付けるなんておかしい!」

 

と謎の逆切れをしていた

 

飲み会でそんな内容のことをぐちぐち後輩に言ってたような気がする。

ごめんやで

 

 

 

そして2年生の後期

このあたりから大学で講義をうけた記憶が

曖昧というか、ほとんどない。

精神を病んでしまったとかそういうのではなく、

単純に大学に行ってなかったせいかもしれない。

 

 

 

「大学2年生は人生で1番楽しい時期だ。

1年生のように先輩にビクビクすることもなければ、

3年生のように将来のことを考える必要もないし、

4年生のように就活や卒論に追われることもない。」

 

とある先輩に言われた言葉だが、

まさにその通りだ!と思って

大学2年生は本気で遊び倒した。

 

普通の大学生はその通りで合っているのだが、

単位を何個も落としてる大学2年生は

この時点で将来の心配をしておけとツッコミを入れたい。

 

1年生の時点でも十分遊び倒したのではないかと思いきや、

その比ではない。

出席だけするとか、

試験だけ受けるとかそんな生ぬるいことではなく、

 

ガチで1日も大学に行かずにゲームと筋トレだけやっていたのだ。

 

筋トレは単位を落として気が狂っていたとき以降の習慣になってしまい、

ゲームを長い時間続けるのに最適だということに気付いた。

血流をよくして集中力アップにもなり、

体が極端に痩せ細るのを防ぐ効果があった。

おかげさまで幸か不幸か、

実際の生活は廃人そのもので、

心は廃れきっていたにも関わらず、

体型が極端にやつれたりすることもなく、

周囲から見れば何の変哲もない健康体に見えただろう。

自分の体の異常、

生活の異常は近しい友達でさえ気づかなかっただろう。

言わなくても気付いてほしいメンヘラみたいやな

 

定期的に誘われたボウリングでは

鍛え上げた腕力のおかげでかなりのスコアが取れるようになったし、

定期的に参加するバスケも、

上半身が安定したためにシュートの精度だけは少しずつ良くなっていった。

 

 

 

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ポケモンの沼】

 

 

 

 

 

大学2年生の11月

気温が落ちてからは外出する気力がほとん湧かなくなり、

寮に引きこもるようになった。

また、20を超えていたので、

合法じゃい!と言いながら酒を浴びるように飲み、

家で動画を見ながら艦これを延々と回し、

Twitterを監視しながらポテチをかじる。

 

意識高い系だった頃の面影はすっかりなくなり

意識他界系の20歳学生になっていた。

 

一見すると人生詰んだ人間だとも思えるような生活だが

この環境が自分の人生に新たな視点を与えるきっかけをくれたのだ。

 

 

 

ちょうどこのころ、

ニコニコ動画Youtubeなどの配信環境が整備され、

ちょっとしたブームが起こっていた。

それが

 

ポケモンの対戦実況動画

 

である

 

当時ORAS(オメガルビー/アルファサファイア)が発売され、

XYのころから盛り上がっていた対戦実況だったが、

ルビーサファイア(GBA版)をプレイしていた年代に

どストライクなタイトルでもあったためか

一段と盛り上がりを見せる。

 

自分もこのころに対戦実況動画の視聴にハマり、

無限に時間があるのをいいことに

ポケモンのガチ対戦に手を染めることになる。

 

 

こうなったらモンハン以来の泥沼である。

 

 

 

ポケモンの育成や厳選に、

そしてパーティーの研究や環境の分析に

何十、何百時間、何千時間という時間を吸い取られていった。

 

また尊敬する実況者が、

当時頭一つ抜けて環境最強のポケモンであった

メガガルーラをメタる研究をしていたこともあり、

自分も自然とその方向に進んでいった。

 

やがて自分一人の研究に限界を感じ、

ニコニコ動画で対戦の様子を配信したり、

Twitterで考察を発信したりしていくと、

次第にネット上でのつながりが大きくなっていき、

このとき初めて

「ネット上で友達を作る楽しさ」に目覚めた。

 

配信を通じて返ってくるレス、

他愛もない雑談からためになるアドバイス

その人独自の価値観や、

専門性の高い知識などがビビッと刺さり、

新しいものが頭にたくさん入ってくるあの感覚を再び味わい、

自分は楽しく、

気持ちよくなっていったのだ。

 

この経験は留年してよかったと思える経験の1つで、

同時に新しい自分を形成する大きな要素になっていった。

 

 

そんなこんなで、

ポケモンに打ち込んでいるうちに大学2年生は終わりを迎えてしまった。

 

勉学の面で言えば

大学2年生の期間を全て棒に振ってしまった状態で、

卒業できず人生の詰みに向かっている事実に変わりはないのでは?

そんな心の声に耳をふさぎ、

”俺の人生は今が1番輝いている!今が1番たのしい!”

と言い聞かせながら寝落ちするまで

毎日、毎日対戦していたのを覚えている。

 

 

Aボタンが手垢で汚れてきたころ、

そろそろ新入生も入ってくるし、

バスケの方も練習しなきゃと、

重い腰を上げて体育館に向かうのだった

少なくともかっこ悪いところは見られないようにしなければ…

 

 

 

 

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つづく

 

4話→

留年4回したとある大学生の話【第4話】ポケモンサークルとの邂逅 - @choku1stの雑記

 

1話→

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記