@choku1stの雑記

「人生」とかいうソシャゲを攻略していこう

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生

 ※この話はフィクションではありません

 

 

 

大学の学長「えー毎年この学部では、大学生活始まってすぐに数人が大学を辞めます。そして20人に1人くらいが留年します」

 

留年とかwww雑魚でしょwww」

 

大学の学長「えー出席率が規定に満たないと、単位があげられないと、そういう科目もたくさんありますので、えー講義には必ず出席してください」

 

出席ができないとかwww小学生からやり直せやwww」

 

 

 

 

大学1年生当時の自分は

教授の話を聞きながらこんな風に思っていたが、

気が付いたら8年間も大学にいる留年王になっていた。

※大学の在籍可能な期間は最大で8年、故に許される留年は最大4回まで

 

一 体 な ぜ な の か

 

地方の国立大学は高い競争倍率のせいか

比較的真面目な人が多く集まり、

卒業しにくいといわれる学部や研究室を除けば

留年する人間は極めて珍しい。

まして4回も留年する人間などいるのだろうか←

少なくとも周りにはおらず、

そういう人1人いた!という話を

先輩から聞いた程度である。

 

備忘録として、また自戒の記として、

また、これから大学生になる方や、

「留年しちゃったから人生終わった。自◯しよ…」

そんなマインドに陥ってしまった人の

心の支えになればと思いブログに書き記すことにした。

 

 

覚えてることをひたすら書き殴っていくので

文体や日本語がおかしかったりする点はゆるしてほしい

 

 

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【新入生編】

 

 

4月、18歳の若者は第4志望くらいで某国立大学に入った。

当時、超貧乏な母子家庭の長男だったので、

とにかく学費の安い国立大学に!という意識が強く、

渡されたパンフレットを見て、

「教員免許が取れる」ということだけを確認して

入学を決めたのを覚えている。

 

第4志望だからといって腐っていたわけではなく、

むしろけっこうワクワクしていた。

バンドでも初めて彼女作って、

キラキラしたキャンパスライフにするぞ~

といった大学生活に対するワクワクではない。

実は高校時代に行った模擬試験では、

この某大学の判定はA判定の中でも

はるか上のほうに自分が1人だけ分布している、

それくらいぶっちぎりのA判定だったのだ。

その成績を思い出しながら、

 

「この大学で1番の成績を取って首席で卒業する!

教員採用試験も1発で合格する、

いや絶対できるぞデュフフ…」

 

といった意識高い系の、

かなり痛い人種のワクワクである。

そう、入学当初は

教師を目指す意識高い系陰キャ厨二病世間知らずクソガキ

だった。

こんなやつにわが子の担任になられた日には転校させる。

 

 

入学と同時ぐらいに、

大学の寮に入ることになった。

 

もともと金銭的に

大学付近のアパートを借りる余裕が

無かったために申請していたが、

これがすんなりと通り、

なんとひと月あたりの家賃が4000円ちょいだった。

普通の大学生がアパートを借りれば

安くても3~4万はかかることを考えれば破格の安さである。

部屋は5畳半と独房のような狭さだったが、

相部屋ではなく1人部屋で、

同じフロアに住まう先輩や同期にも恵まれ、

居心地は悪くなかった。

 

 

ちなみに入寮と同時に、

寮の人間だけで行う

新入生歓迎パーティーなるものがあった。

いわゆる”新歓”である。

 

陽キャのコミュニティーではどうやら

「あだ名」を使って呼び合うらしく、

人生で1度もあだ名をつけられた経験がない自分は

冷や汗を垂らしながら「チョク」と名乗った。

ポケモングラブル、その他さまざまなゲームのハンネはここで生まれたのだ。

 

 

陽キャのノリに必死についていかねばと、

陰キャなりに必死にウェ~イwww感を出しつつ

楽しもうとしたが、

できあがっている先輩たちから定期的に

「あの子かわいいじゃん、どう?」

と絡まれるたびに、

二次元でしか彼女ができたことがない自分は

「ハハッ…」

と乾いた返事しかできず、

複雑な気持ちになった。

 

 

さらに同時にサークルにも入る

入学当初は

 

「サークルなど時間の無駄!大学は勉強をするところ!サークルに入ってくる男も女もみんなヤ○チンとヤ○マン!地雷人間、猿のたまり場!」

 

というあまりにも失礼な偏見と、

どぎついマインドセットだった。

 

しかし、陽キャに揉まれていく中で

若干性格が丸くなったのか、

仲良くなった友達と一緒に

バスケットボールのサークル(経バス)に

見学へいくことになる。(誘ってくれて本当にありがとう(涙))

 

小学校、中学校とレベルが高い環境でバスケをしていたが、

高校で辞めてしまっていたので長いことバスケとは疎遠だった。

しかしながら、自分がやっていた球技を

久々にするのはべらぼうに楽しいもので、

2~3時間の活動が体感5分程度になり、

終わるころには

「このサークル入ります!大学生活はサークルがないとダメっすね!」

という完全な手のひらクル~状態になっていた。

 

 

 

 

 

少しして大学で講義が始まる時期になる

これがまぁ~苦痛だった

 

小、中、高校に比べて

「大学の先生って字が下手くそやな~」

というのが第一印象だった。

ほんのひと握り板書が綺麗な先生もいたが、

あらゆる科目で満点を狙う勢いだった

意識高い系の自分にとって、

小さく見えにくい字は大きなストレスだった。

そのため、当時は全ての授業で

毎回講義棟の中央の最前列に座っていた。

 

そして全員ではないが、

教授がなにを喋ってるのかわからなかった。

意味が理解できないということではなく、

聞き取れないのだ。

マイクを使ってるはずなのに

接続詞しか聞き取れない。

衣服がこすれる音と

呼吸音のほうがでかい。

マイク無しでしゃべるなら移動するのやめてくれ。

 

加えて、講義の内容があまりにも易しかったことも

大きなストレスだった。

高校時代そこそこいいところを目指して

勉強していた自分は、

そこそこ脳みそがムキムキになっており、

大学の序盤で履修する内容がどれも簡単すぎたのだ。

 

「内容が易しいことがストレスになるの?」

と思う人もいるかもしれないが、

人間というのは自分の能力に適した仕事ではないと

気持ちが沈んでいくものである。

レベルがそこそこ上がった状態で

はじまりの町のスライムをいっぱい倒していたり、

飲食店の敏腕従業員が

「5分に1回ここのボタンを押すだけ」

という仕事を任されたりすると

気が狂いそうになるあの現象である。

自分は30単位以上(ほぼ毎日1~5限がある状態)

の時間割を組んでいたため、

実質スライム倒しを毎日数時間こなすことになり、

これによって精神が削られていった。

※大学によってはいきなり高度な勉強をするかもしれない。

 

小学校は勉強しなくてもテストで

100点を取れたという方も多いのではないだろうか。

まさにこの時も、

座って話を聞いていれば満点が取れる内容だったため、

復習をする必要がなく、

自分は暇な時間を無限に持て余していた。

 

 

 

 

2か月が過ぎたころアルバイトも始めた

妹、弟も進学を控え、

これからますます家計が苦しくなるので、

奨学金と合わせて自分1人で

学費と生活費を完結させようと考えたのだ。

ついでに時間も持て余していた。

 

学習塾と競馬場で働くことになる。

教員を目指していたことと、

サークルの先輩の紹介があって始めた塾講師だが、

事前の板書計画や教室の清掃、

生徒の出迎えや移動など、

所謂時間外労働の割合が多く、

時給換算すると500円程度の超絶ブラックバイトだった。

それでも教壇に立ってモノを教える

という経験は貴重だったし、

とても楽しかった。

 

また、こちらもサークルの

先輩の紹介により始めた競馬場のバイトだが、

来た当初は施設の大きさに

圧倒されたのを覚えている。

そして先にかじっていた塾講師に比べて、

給料形態が超絶ホワイトで感動した。

また覚える業務の内容が多く、

1年に1回しかやらないけど覚えなきゃいけない

タイプの仕事がそこそこあって序盤は苦労した。

 

そして、普段おちゃらけている先輩方が、

ガラ悪めの客を相手に

敬語を使いこなしてサラっと

素早く捌いていく様子を見て

「あっ、この人たちは”大人”だわ」

「ワイもこうなりたい!」

ってなった。楽しかった。

 

なにより、知らなかった世界を知ることは、

知識欲あふれていた当時の自分にはビビッと刺さり、

人を相手にした立ち振る舞いや言葉を吸収して、

「自分ができる社会人に向かって前進している」

という実感も脳汁の源泉になった。

 

 

このあたりで

大学生活は「勉強」ではなく「サークル」と「バイト」で充実されるものだ!

というマインドセットに完全に切り替わる。

 

 

徐々に雲行きがあやしくなっていったが、

それでも1年生の前期は1つの科目を除いて全てA評価を取り、

”優秀な大学生”のレッテルをもらった。

最前列に座っていたので

教授に不意に振られる質問に回答する機会も多く、

教授に名前を憶えられてしまう。

研究室の選考に有利だと当時は喜んでいたが、

今となっては恥ずかしい限りである。

 

 

 

そんなこんなで、大学生活は

思ってたよりサークルは楽しい

思ってたより授業はつまらん

思ってたより時間が余る

思ってたよりバイトたのしい

 

…ということを学んで1年生前期は終了した。

(勉学的な学びは何もないままに)

 

 

 

 

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つづく 

 

 

2話→

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