@choku1stの雑記

やりたくないことをやってる余裕は人生にない

留年4回したとある大学生の話【第9話】24歳、学生です。

 

 

 

【6年前期】

 

 

 

「あれ?チョクさん!?チョクさああああああん!!」

 

 

生協の購買を出たところで、

バスケサークルの後輩に声を掛けられた。

 

 

「え?卒業してなかったんすか!じゃあ今日のサークル来れますよね!今年もよろしくお願いします!」

 

 

 

嬉しすぎて涙が出そうになった。

 

「”6年生の”チョクです。よろしくお願いします。」

 

小学校かな?

ひとまず今年が留年2回目であることを噛みしめ、

緊張と嬉しさ混じりで自己紹介をした。

 

偶然にもミニバスで見知っていた5個下の後輩が入学し、

昨年の1年生偽装ドッキリは失敗に終わる。

 

新しく入った女子マネージャーには

名前を「ちょく」と発音する中国人留学生

だと思われたらしく、

「自分中国語取ろうと思ってるんですよ~教えてください^^」

なんて言われたりした。

に、二ぃハぉ~( ^ω^)

 

 

 

人間関係は良好!

学業面も極めて順調!

 

大学生活6年目は最高の滑り出しになった。

 

 

 

…あれ?

 

金銭面の問題はどうなったの?

 

単位落としてなかったっけ?

 

卒業はできるの?

 

 

 

 

 

 

 

__________________________

 

【6年生になる2か月前】

 

 

時は5年生の春休みである。

 

 

自分は生活保護について調べていた。

調べれば調べるほど、その内容に驚く。

 

え、7万円ももらえるの??

え、医療費がタダになるの???

え、家賃が補助されるの????

 

なんじゃこの神制度は!!

 

 

全身が震えた。

月10万稼ぐ労力を一気に軽減できる。

 

天才か?

 

ちょっと待てよ生活保護が7万円

自分の生活費が5万円

 

7万円 > 5万円

 

天才か?(2回目)

 

 

一生遊んで暮らせるやん!!

しかもソシャゲに毎月2万円も課金する余裕まである!!←

 

 

確か老後も金になる資産や財産がなくて、年金がなければ生活保護がもらえたはずだ。

 

天才か???(3回目)

 

もう死ぬまでの全ての一本道が見えた気がした。

 

いや完全に見えた。

 

これで行くしかない。

生活保護による一切働かずに毎日遊ぶだけの人生。

 

不正受給者や、受け取ったお金をギャンブルに投じて困窮する本物のアホが問題になっているようだが、

自分はうつ病(の可能性がある人間)だ!

自分はギャンブルなどしない!

超の付く倹約家だ!

自分のためにあるような制度じゃないか!

 

 

 

 

最高じゃないか!

どうやったらもらえるんだ!?

 

障碍者手帳

 

 

 

 

 

 

 

 

しまったうつ病アピールしておくべきだったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 

 

すぐさま精神科と心療内科を探した。

 

どこでもいい。

 

多少距離があってもいい。

 

交通費をかけても生活保護の受給額を考えればおつりが来る!

 

絶対に手帳をもらうんや!!

 

 

 

 

働かずに手に入るお金が欲しすぎて必死だった。

そして自分の頭の中には、

新しいヴィジョンが出来上がっていた。

 

生活保護だけで生きていくこと」

 

である。

 

自分の生活水準は世間一般から見ればかなり低いものだったが、特に不自由を感じたことはなかったのだ。

家賃を含めても5万円あれば足りたので、

 

7万円なんていただいた日には働かずに貯金まで作れる!

 

そんな計算だったのでニヤニヤが止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

しかし現実は厳しかった。

 

 

「んー、うち3か月先まで予約いっぱいなんですよ」

「申し訳ありません、当病院予約のめどが立たず…」

「すみません只今、予約の受付はしておりません」

「すみません…」

「もうしわけございません…」

 

 

 

ガッテム!

 

 

日本社会の闇を見た。

 

 

心を病んだ日本人、多すぎませんかね?

 

一体何がそうさせてしまうのか

 

社会に出るのこわい…

 

5か所の病院が数か月先までいっぱいってどういうことなの

 

 

これでは生活保護で暮らすどころか受給資格すらもらえない。

冷や汗が出た。

 

そして学費の納期もひと月後に迫っていることもあって非常に焦った。

 

どうしたものか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詰んだ自分は最終的に祖父を頼った。

 

幼少のころに離婚した旧父方の祖父である。

 

旧父親とは完全な疎遠となったが、

祖父とは交流があり、

定期的に連絡をもらったり、米を送ってもらったりしていた。

 

祖父の勤めるスキー場でアルバイトをさせてもらったりもした。

 

「金には困っていないか?」

「飯はちゃんと食べてるか?」

「勉強は順調か?」

 

などなど、

在学中、定期的に電話でいろんなことを尋ねられていたが、

金銭的な迷惑はかけられまいと

仕送りの類は完全に断っていた。

妹経由で住所が割れていたので、

白米が3か月に1回くらいの頻度で強制的に送られたりもしていた。

ありがたい限りである。

 

 

私は電話をかけた。

申し訳なさで泣きそうになりながら現状を話すと

 

祖父は待ってましたと言わんばかりに

 

「いくら必要だ?100万くらいか?」

 

と、十分すぎてビビる金額を提示してきた。

 

 

 

ワイ「いや、あの…とりあえず前期の学費足りない分10万円を…」

 

祖父「そうか、とりあえず口座教えて」

 

 

おそらく、私が人生で最も

「ごめん。申し訳ない。」

という単語を使った電話だった

 

 

申し訳なさで体中からいろんな汁がでた。

 

 

 

 

 

後日銀行に行って残高を確認すると100万円が振り込まれていた。

 

 

見間違いじゃないかと何度か確認したが、

やはり桁が一つ多かった。

 

すぐに電話をかけ、振込金額の間違いを伝えたが

もらっておけ!と

 

いやいやと遠慮していると

じゃあ出世払いだ!と返され

 

最終的にありがたく頂戴することにした。

 

 

 

「このご恩はいつか必ず」

 

 

そう固く誓い、

 

最優先事項だった生活保護の受け取り計画は

一旦白紙になった。

 

 

 

 

 

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【6年生になる1か月前】

 

 

 

祖父からの援助を受けた1か月後、

自分は卒業論文の作成に着手していた。

 

 

調べものをしながら見ていたYoutubeの内容が興味深いもので

 

「あ、これで絶対いい卒論書けるわ」

 

と直感的に感じたのである

 

 

 

気が早くないかと思われるかもしれないが、

ポケモンサークルの先輩に、

卒業論文は提出したけど、要卒単位が足りなくて留年している

という特殊な方がいたため、

卒論を出してから単位を取るという戦法、

それいただき!

といった感じで、超フライングスタートを切った。

 

暇つぶしで様々な発表会に顔を出したり、

 

後輩が書いている論文を

横からのぞき込んだりしていたので勝手はわかっていた。

 

加えて、その苦労もわかっていたのだ。

訂正に次ぐ訂正、

中間報告会での容赦ない指摘、

重箱の隅をつつくような意地の悪い質問に精神が破壊されていく先輩、後輩をたくさん見てきたため、

卒業の際に立ちはだかる最大の障壁は卒業論文であるという知見をすでに得ていたのだ。

卒論と就活の両方を処理していく真っ当な大学生は本当にすごいと思う。

 

 

 

参考文献0冊という絶対に受け取ってもらえないものだが、

自分で言うのもなんだが、かなりいい感じの内容のものが書けたため保存し、

 

指導担当の教授や、大学の様々な課の窓口を訪れ、

卒業までのルートの相談や、

受け入れてくれそうな研究室やゼミを探した。

 

「4年生ですか?」

 

という職員さんや教授の質問に

 

「5年生です」

 

と答えて

ん?という反応をされたときは恥ずかしかったが、

 

とりあえず軽く論文(仮)に目を通してもらい、

転学類の相談、配属先探しの相談など、

 

手取り足取りいろいろと面倒を見てくれた。

本当に頭が上がらない。

 

理系の研究室でも文系のような内容を扱っていたり、

その逆もあったり、

また選考している学科とは違う研究室に入れたりと

けっこう大雑把なシステムの大学だったためなんとかなった。

 

更に自分の金銭的な事情と

卒業までギリギリなことを考慮し、

可能な限りゆるめの雰囲気のゼミにたどり着く。

バイトですっぽかしてしまう日も多々あったが、

別の日に埋め合わせてくれれば問題ないというスタンスだったので

本当に担当の教授には感謝しかない。

 

 

 

色々と奔走した結果、

無事卒業までの道筋を立てることができた。

 

絶対にこの道から外れてなるものかと固く誓い、

 

そこから着実に卒業まで歩みを進めていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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【6年後期】

 

 

 

たのしい時間は一瞬で過ぎ去るもので、大学6年生は一瞬で過ぎ去った。

 

「貯金通帳の余裕は心の余裕」

 

とはよく言ったもので、

潤いに潤った通帳の残高は、自身の人格も潤していった。

 

 

ポケサーの活動が楽しかった。

夏休みには生存報告も兼ねて

ポケモンサークルの交流会に参加し、

無事に”24歳学生”を名乗ることができた

 

無事 とは 

 

 

また、非公認ではあるが

大学側に登録されるよう教授に掛け合い、

顧問になってくれそうな先生を後輩に紹介してもらい、

交渉の末、サークルとしての活動が大学側に認められるようになった。

教室が借りれるようになり、

活動の幅が広がったうえに、

サークルオリエンテーションのパンフレットに載ることで、

雨の中、事前にチラシを配らなくても

興味をもった学生が見学に来てくれるようになった。

 

 

卒業した後輩と共にOB飲みを企画し、

サークルの現状や、社会人生活での愚痴などで盛り上がった。

 

公務員になり、生活保護受け渡しの窓口に回された後輩に

「もしかしたら貰いに行くかもしれない」

という旨を伝えたところ、

 

「やめてくださいよ。チョクさんの担当したくないですよ。」

と一蹴された。

 

 

...(泣)

 

 

 

 

 

体を動かしたい季節にはバスケットボールに全力で打ち込んだ。

 

当時ゴールデンステート・ウォリアーズがNBAで圧倒的な強さのスーパーチームになっており、バスケットボール界の話題を席巻していた。

暇さえあればニコニコ動画Youtubeを同時視聴するスタイルになっていた自分は、今までしっかりと見てこなかったNBAにのめり込んでいった。

 

TwitterNBAの話題を頻繁に呟くが、実はそんなに視聴歴は長くない。

 

GSWの中心選手ステフィン・カリーの、とんでもない距離からものすごい確率で決まるスリーポイントシュートに感銘を受け、ハーフコートライン付近からのシュートをめちゃめちゃ練習した。

 

シュートフォームや遠くに飛ばすための理論、筋力トレーニングのメニューなど、

知り得たものを片っ端から吸収していった。

 

「サークルの時間になったから行くか」

 

程度のモチベーションだったバスケサークルも、

 

「バスケットボールがしたい!早く体育館開かないかな?」

 

と、開始10分前には必ず到着するようになり

自主練習の時間を1分1秒捻出するのに必死になるくらいに

楽しみなものになっていった。

 

 

 

 OB会なるものにも初めて参加し、

自分が1年生だった頃の4年生にあたる先輩と再会し感動した。

 

追いコンでは後輩を追い出すという異常事態になってしまった上に、

花束を渡し、

社会人になっても頑張れと励ます側の自分が

 

「ありがとうございます!チョクさんも卒業してくださいね!」

 

 と、逆に励まされてしまった。

 

とても励みになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強も楽しかった。

 

 

知らないことが出てくるたびに、

アレも知りたい、これも知りたいと、

調べものが捗った。

 

高校時代や、大学入学時に

「主体的な学びを大切に~」

 

などと偉そうに説教を垂れる諸先生方の言葉が微塵も理解できなかったが、

その意味がようやく分かるようになった。

 

自分から求めにいった知識はスッと頭の中に入ってくる。

社会の教科書を暗記するために、

時間をかけて、何周も読み込み何度もノートに書きこんでいたあの時間が

バカらしくなるくらい膨大な知識が次々と入ってくるのがおもしろかった。

 

 

 

 

 

 

 

卒業した先輩の結婚式にも参加した

 

 

大学始まって最初の最初に知り合った尊敬する先輩である。

卒業してしまった先輩とはほぼ疎遠になってしまうものだと思っていたが、

結婚報告を受け、自宅に結婚式の招待状が届いたときは嬉しかった。

 

 

学生の身だったこともあり、

大した金額のご祝儀は包めないことが非常に申し訳なかったが、

祝いの言葉を届けたい気持ちが大きく、参加の意を伝えた。

 

 

会場は煌びやかで、卒業した同期や先輩との数年ぶりの再会に感動した。

おそらく唯一学生としての参加者だった自分は、

社会人の風格をまとった皆に気後れしつつも、

喋りの感じは大学生のころと全く変わらない面々との再会は嬉しかった。

 

 

 

式は感動した。

 

 

親しかったかつての先輩が全く別の人のように見えたし、

夫妻ご両親の涙につられて泣きそうだった。

何よりも新婚夫妻がとても幸せそうだった。

 

常に暴言と暴力を振るう親を見て育った自分は

 

「結婚なんてお金の無駄!」

「子供なんてただのコスト!」

「彼女との関係も崩壊させる悪魔の契約!」

 

というあまりにも極端な考えを持っていたのだが

そんな拗らせ大学生の思想は180度変わり、

 

家庭を持つということに少しの憧れを抱くようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚式は2次会でお酒を飲んで一泊する予定だったが、

式の雰囲気に完全に打ちのめされていた。

なんだか学生の自分がいることが場違いな気がして自宅に帰ることにした。

 

 

別の先輩に車で送ってもらう中で

先輩の職場についてや、自分の現状について軽い雑談をした。

 

「もっと社会人になりたいと思えるような、希望ある話をしてくださいよ!」

 

と、社畜煽りをかましつつも、

大学生がなんて気楽な身分なのかということを改めて痛感する。

年を重ね、挫折にも似た経験をし、

だいぶ大人になったつもりでいたが所詮は学生だ。

24歳、クソガキだった。

 

 

 会話の中で

 

「チョクならなんとでもなりそうだけどな」

 

という言葉をもらい、

これが大きな後押しになった。

 

 

また、一緒に式場に向かった同期の

 

「大学卒業できなかったらお前と友達やめるわ」

 

という冗談交じりの喝も、

しっかりと心に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

来年度で大学7年生になる。

 

卒業後の進路はどうなるかわからないけど

 

とりあえず卒業まで、

もう少しだけ頑張ってみよう。

 

 

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つづく

 

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