@choku1stの雑記

「人生」とかいうソシャゲを攻略していこう

留年4回したとある大学生の話【第10話】フリーターになろう

 

 

【7年生】

 

 

 

「あれ?チョクさん?なんでいるんすか!?」

 

 

ワイ「えへへ…(照)」

 

 

 

大学図書館で声を掛けられた。

普段勉強しなそうな(失礼)奴らが図書館に…

 

バスケサークルの後輩は自分を見つけるのがうまい。

 

 

 

 

「今年は卒業できそうですか?…え!?来年もいるんですか!?^^」

 

「俺らも大学院進むことになったのでチョクさんと一緒に卒業です!」

 

「一緒に卒業しましょうね!!^^」

 

 

 

 

…泣いた。

 

 

実は今年で卒業することもできたが、

ある感情が芽生えていたのである。

 

「卒業したくない」

 

 

 

 

 

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【卒業したくない病の原因その1】

 

バスケたのしい↑↑↑

 

 

7年生になった自分は人生で最もバスケを楽しんでいた。

 

体力や走力はかなり落ちていたが、

シュート力が格段に向上したため試合が楽しくなっていたのだ。

 

ボールにほとんど触る時間が無くても、

シュートさえ入れば試合で活躍できると知り、

 

”バスケはシュート力が全て”

 

という悟りを開いた。

 

 

 

後輩たちもバスケが本当に好きな固定メンバーが厳選され、

5対5の試合ができない日はなく、

それはサウナ状態の体育館だろうと、

冷凍庫のような体育館だろうと、

スポーツ大会の後だろうと試験日前だろうと

必ず試合ができたため、本当に楽しかったのだ。

 

 

社会人のクラブチームの練習にもいくつか混ざっていたが、

大学のサークルが最もレベルが高く、

気さくにプレーできる環境だったため、

この環境を手放したくない思いが強かった。

 

 

 

 

 

【卒業したくない病の原因その2】

 

 

カラオケ、ボウリングたのちい↑↑↑

 

 

 

カラオケやボウリングが破格の安さで、飽きるまで楽しめるのは学生の特権である。

カラオケはフリータイムで12時間!

ボウリングは投げ放題で30ゲーム!

それ以下では満足できない体になってしまい、

この特権階級に居座りたい思いが強かった。

 

また、就職した後輩がボウリングの戦闘力をドラゴンボール並みにインフレさせており、異常なほど熱が入っていた背景もある。

 

 

他にも、麵屋の替え玉無料制度、

床屋の学生料金、

税金面の優遇など、与えられる恩恵は無数にあった。

 

 

 

【卒業したくない病の原因その3】

 

 

その1、その2の

名前書けば入れる地元の工業高校のヤンキーのような

卒業したくない!(ワガママ)というお子様な理由とは違う。

 

極めつけとなる要因は

 

アルバイトだけで生計が立てられてしまっていた”ことにある。

 

 

 

 

 

 

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【某牛丼屋バイト編】

 

 

 

勤労学生だった自分は

事務、接客、肉体労働、イベントの裏方など

様々なジャンルのバイトを経験していたが、

その当時、唯一

 

「飲食店」

 

というジャンルだけはかじったことが無かったのだ。

 

たまたま家から近かったことと、

良い社会勉強になると思い、

 

「某大手牛丼チェーン店」

 

のアルバイトに応募した。

 

 

 

思えば最初から雲行きは怪しかった。

 

人事担当のマネージャーが面接の待ち合わせに30分遅刻してきた。

 

「合否の結果は、どんな結果でも7日後には連絡します」

 

と伝えられて20日以上放置を食らい、たまらず本社に電話を掛けたりした。

 

 

もうこの時点で危険な匂いがプンプンしたが、

逆にこの黒光りした企業に余計に興味を惹かれ、

めちゃめちゃ元気に質問に答えたのを覚えている。

深夜?いけます!

 

 

最初は地獄だった。

ネットで見た募集の要綱では、

現場に立つ前に研修センターに1週間ほど在籍し、

接客や調理手順の研修を受けるので

未経験でも安心♡

 

といった具合の書き込みが確かにあったのだが、

 

東京にはあるけどここにはない

 

と、マネージャーから一蹴された。

 

だ、だましたな!(焦)

 

いきなり現場に立たされた自分は

死に物狂いで仕事を覚えるしかなかった。

 

まずメニューの量が膨大なので、

ハンディの画面が煩雑になっており注文を受けるのも一苦労だった。

研修バッジを見たら是非、

ハンディで打ち終わるのを確認してから次のメニューの注文をしてほしかったが、

お客様は容赦がなかった。

 

配膳もトレーに乗せる位置が決まっていたため、

マニュアルとにらめっこしながら

写真を確認しつつ配膳をするが、

厨房側からどんどん料理が出てくるわ、

お客さんの呼び出しが鳴りやまないわで泣きそうになった。

 

仕込みの量も多かった。

メニューの数だけ仕込みがあり、

食材の数も結構あったため、

冷蔵庫から目当ての食材を発掘するところから一苦労だった。

 

ワイ「キムチってどこですか!?」 

 

バイトのおっちゃん「チッ…」

 

舌打ちされた。

みんな忙しさで心の容量がペットボトルのキャップ1杯分もないのだ。

いや、この環境でもまれていく中で、

次第に心が荒んでいったのかもしれない。

 

 

 

このバイトやばい

 

 

そりゃあ1年中募集があるわけだ。

 

人材不足になるのも納得の業務内容である。

 

「簡単な仕事なんだけどねー」

 

などとマネージャーはのたまうが、

せめて現場の人間なのだから、

その感覚のバグをいち早く修正してもらわないと

この業界に未来はないと素直に思った。

 

 

人間1人が、余裕をもって回すことができる仕事量をはるかに凌駕している。

 

厨房も厨房で、

マネージャー(正社員のクルー)は肩に携帯電話を挟みながら、マイクでドライブスルーの対応をしつつ、牛丼を盛っていた。

 

別店舗でチーフをやっていたという凄腕のクルー(※1個上の女性だった)

の手の動きは早すぎる。

圧倒的に素早くてダイナミック、

それでいてなめらかで、

丁寧で一切の無駄がなく、

タレの一滴もこぼす気配がない。

 

中国雑技団出身の方ですか?

 

 

「時給は悪くないし、正社員登用制度もあるし、就活ミスったらここで正社員になれるかもしれない」

 

なんて期待感も、バイト開始前はどこかにあったが

もう初日で辞めたかった。

 

一緒にシフトに入っていたおばちゃんバイトも

開始前はやさしそうに

「よろしくね~」

なんて言ってくれていたが、

忙しさで余裕をなくしているらしく、

接客態度はお世辞にも良いとは言えず、

自分へ指示する口もめっちゃ悪かった。

 

 

正 体 あ ら わ し た ね

 

 

 

1週間ほど経つと

 

「チョクくん面接で朝9時まで大丈夫って言ってたよね?」

 

と人事担当から声がかかり、

深夜担当だった自分が深夜と朝のシフトを兼任することになる。

 

 

朝にシフトの希望を入れる人が少なく、

 

1週間のうち5日間を自分が担当することになったが、

 

「稼げるしいいか」

 

程度の軽い気持ちで考えていた。

 

しかし考えが甘かった。

 

朝の時間帯は”ワンオペ”だったのである。

 

※ワンオペとは、ワンオペレーションの略称で、レジ、オーダー、調理、提供、ドライブスルー対応、食器洗い、その他営業報告書等の事務作業を含めた全てを1人で回すことである。

 

 

深夜のシフトで仲良くなったおばちゃんバイトから、

牛丼の盛り方や清掃の仕方、

時間帯限定で出す特殊なメニューの作り方、

などを1週間のうちに教えられていた。

そしてそのことが何故かマネージャーに知られていた。

 

 

物覚えがいい方だったので、幸か不幸か1人で回せてしまったのである。

 

早朝はお客さんが少ないこともあり、

比較的余裕があった。

 

しかし朝食の時間帯になると

そこそこの人数がまとまって一気に入るため、

最初はパニックに陥った。

人は窮地に立たされると成長するようで、

2週間が経つ頃には

牛丼を盛りながらドライブスルーで注文を受ける技術を習得していた。

 

お客さんがメニューを考えてる数秒で1杯盛れるようになり、

メニューを復唱して時間を稼いだ時間で1杯盛れるようになり…

 

成長している実感があって少し楽しかった。

 

 

 

しばらくすると朝のワンオペ担当は、

完全に自分のポジションになっていた。

 

ワンオペ魔人爆誕

 

従業員は誰もワンオペをやりたくないのである。

 

そもそも1人で回すのがアホみたいに忙しい上に、

クレームおじさんとエンカウントした時は地獄なのだ。

対応中は一切調理をすすめることができないため、

売り上げは激減し、本部からの評価も下がってしまう。

そのくせ時給はそのままなのだ。

誰もシフトを入れたがらないのは当然だ。

 

 

 

1か月後にはピンチヒッターも兼任していた。

1店舗あたり1人~3人で回すことが普通なため、

誰かが体調不良で欠勤したり、

寝坊してしまったりするとシフトが崩壊する。

そんな時は

「○○時から入れる人いませんかー!?」

とLINEが飛んでくるのだ。

家が近かったことと、時間に融通が利く身の上だったこともあり、

誰かが寝坊した時の保険、

誰かが体調不良時の交代要員を担当するようになる。

 

 

 

そんな人一倍多くのシフトをこなしているうちに、

収入の額は大きくなった。

 

深夜シフトの時給は高く、

1日の勤務時間が8時間を超えると時給は更に跳ね上がったため、

 

月収は大卒1年目の新入社員より多くなっていた

 

 

労働環境は真っ黒だが、

給与支払いに関しては真っ白でありたいようだ。

 

個人的にはワンオペには手当を付けてほしい。

 

 

 

 

 

 

半年も続ける頃には祖父からの援助金も返済し終わり、

学費、生活費両方にかなりの余裕を持てた。

 

 

貯金がすごい勢いで溜まるようになり、

お金の勉強もしていたので、

このあたりから余剰資金を投資にまわし始めた。

 

 

仕事はいつまでたっても辛かったが

グラブルに熱が入っていたこともあり、

1週間ごとにシフトが組める柔軟なシステムに大きな魅力を感じていた。

 

暇なときはたくさんシフトに入り、

古戦場ではシフトを減らしたり、

朝の時間を断ったり、

有給をつかったりと、

一般的な社会人よりはるかに充実した課金額とマラソンを両立できる環境を手に入れていた。

 

 

 

 

 

そうして大学7年生は進路について考える

 

 

 

フリーターでよくないか?

 

 

 

 

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つづく

 

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