@choku1stの雑記

「人生」とかいうソシャゲを攻略していこう

留年4回したとある大学生の話【第13話】留年は悪いこと?【最終回】

 

社畜になる前に】

 

 

2021年2月

 

 

 

寒すぎる

 

 

私は雪片付けをしていた

冬の会津は人の住むところではない

起きたら車も自転車も埋もれているのだから。

 

 

住居を解約し、

軍資金がそこそこあったので、

東京のネカフェで豪遊して過ごす考えでいたが

さすがに例のウィルスに感染して時間を棒に振るのはもったいないし

内定取り消しなんて食らった日には泣いてしまう。

 

 

実家で過ごすのが丸いと判断し、帰省した。

母親が県外に単身赴任しているようで

あれだけ居心地が悪かった家も

そこそこ快適な空間になっていた。

 

 

 

 

それでは

ブログを書いているこの日現在までの半年間を、

とりあえず記していこうと思う。

 

 

 

 

大学最後の夏休みが明けて少しして、

バスケサークルの活動が再開した。

 

大学からの許可メールを見たときはテンションがぶち上がった。

 

窓を全開にしろとか、

運動中を除く全ての時間マスクをつけろとか、

細かい規定がめちゃ多かったが

体育館でボールがつけるだけで嬉しかった。

 

サークルのLINEもワチャワチャと盛り上がり、

体育館に集結する。

 

 

「チョクさん!?チョクさあああああああああん!!!」

 

 

今年初めての声掛けは体育館だった

新年明けて10か月後である

 

 

「前期何してました?!大学で見つけられなかったんですけど!」

 

 

ワイ「就活してた(照)」

 

 

「チョクさんが就活!?」←失礼

 

「内定もらえたんですね!よかった~^^」

 

「卒業までよろしくお願いします^^」

 

 

 

うむ!こちらこそよろしくね~

 

本当に後輩に恵まれた留年生活だった。

老害を長いこと置いてくれてありがとう。

 

 

 

新入生もこのタイミングでたくさん見学に訪れていた。

 

バスケの名門校出身の子もいて

かなりハイレベルだった

 

 

「ワイが大学入った時点では、この1年生たちは小学生だったんよな…」

 

 

背筋が凍った。

 

浦島太郎はこんな気持ちだったのかな?

 

この貴重な時間を噛みしめようと、

次の活動休止要請が出される12月末まで

サークルは1日も休まなかった。

 

 

 

 

たくさん遊んだ。

 

カラオケにほぼ毎日行く週もあったし、

ボウリングにもかなりの金額を費やした。

 

社畜になる前に人と会っておこうと思い、

 

知り合いのいる仙台や東京にも足を運んだ。

 

 

 

第2の実家でもあるラーメン二郎仙台店には隔週ペースで足を運び、

ポケモンサークルで知り合った先輩、後輩と麺を啜った。

この人たちと会うためなら電車代など惜しくなかった。

 

え、働いてたんですね!

 

なんて失礼なことを口走ってしまったのは許してほしい。

 

自分が言えた立場ではなかった。

 

 

埼玉に住まう同期は”自分が思い描く理想の社会人”の生活をしていた。

連日趣味を満喫し、

本棚や積みゲーが充実していた。

ワイもこれになりたい!

 

 

 

 

ポケモンサークルのOB飲みもした。

自分だけ現役だったが実質OBということにして開催

実はすでにOB会は第3回を迎えていた。

一期生を輩出するまで時間がかかった珍しい団体。

いない人間の話題で5時間話せるから凄い。

来年も必ず開催しましょう。

 

 

 

部屋のモノをひたすら売った。

本にゲームに大人のおもちゃ(未使用品)

貰ったけどサイズが大きすぎて合わない衣服なども売り払った。

リサイクルショップまではかなりの距離があったが、

デカいリュックに詰め込み、

自転車を何キロも漕いで往復した。

 

 

地元の麵屋もたくさん回った。

この時期は3日に1回は麵屋に足を運んだと思う

 

もうこの時期を逃したら

次にこの麺を食えるのは何年後になるかわからない!

 

そんな思いで10キロ以上離れた山にある麵屋に自転車で通ったりもした。

食べる前に満身創痍だったが、

帰りの下り坂は気持ちよかった。

 

 

 

賃貸を解約した。

車持ちの後輩には頭が上がらない。

洗濯機や冷蔵庫など、

大型家電の処分にも付き合ってくれたのだ。

 

解約も順調

退去費用は1万円ちょいを予定していたが

3万円の敷金を払っていたので、

そこから1万円を差し引いた2万円が

自分の口座に振り込まれた。

まさかの臨時収入である。

 

正直、1人暮らしをするならば

不動産に関する知識は全人類身に付けるべきだと思う。

少なくとも国が定めた賃貸の入退去時にかかる費用の

ガイドラインには目を通しておかないと、

大手の不動産会社であろうと確実にぼったくられる

 

めったに明るみに出ることのない不動産業界の闇は深いのである。

 

 

退去後に追加で請求されないように、

部屋の写真を隅々までスクショしまくったりもした。

 

 

 

こんな感じで大学生活の全てが終了した。

 

 

 

 

 

____________________________________

 

【留年について思うこと】

 

 

いかがだっただろうか。

覚えていること、印象に残っている言葉などを

適当に書き殴っただけなので

かなり拙い内容になってしまったかもしれないが

そこは申し訳ない。

 

 

 

最後に、

 

「自分は留年してよかったと思うか」

 

について話そうと思う。

 

良かった点と悪かった点があるので

断言するのが難しいのだが、

曖昧なことを書いて濁すのも参考にならないと思うので

はっきりと書くことにする。

 

もしあなたがこれから大学生活を送るならば…

 

 

 

 

 

「留年はしない方が絶対にいい!」

 

 

 

はい。

これだけ留年してるのに満足そうに書いておいて、

意外かと思われるかもしれないが、

しないほうが良い。マジで

 

 

留年生活の中で多くの学びがあったが、

”留年しなくても学べる”ことが大半である

 

特に時間を持て余した中で身に付けた

生きる上で役に立つ経済や法律の知識は

自分でいくらでも時間を作って勉強が可能なものだ。

 

あとお金の勉強をするとわかることだが

投資において時間の価値はものすごく大きい

 

投資の神様ウォーレンバフェットも、

「私は11歳で投資を始めたが、私はそれまでの10年間、無駄な時間を過ごしていたということだ」

という言葉を残しているが、これは真理。

 

4年間留年して、

アベノミクスのビックウェーブに乗り遅れて

資産拡大のチャンスを棒に振ったのが悔しくてたまらない。

 

もしも、自分がこの記憶と知識を保持したままタイムリープして、

お金だけのことを考え、

人間関係を完全無視するのであれば、

大学を1年生の時点で中退して就職をし、

資産形成に力を入れていただろう。

 

※後から知ったのだが、”大学中退”というのも”高卒”よりは評価されて少しだけ高い給料がもらえる。

 

 

また卒業までの道筋に関してだが、

”先輩から話を聞くだけで十分”である

何期もの学生、

様々な教授から話を聞いた結果、

ありえないほどイージーモードにはなったが

そこまで難易度を下げなくてもやっていけたのではないかと思う。

 

 

 

なんだよw

留年するってやっぱりカスの所業じゃないか

 

 

 

 

留年は確かにしない方がいいと思う。

 

しかし私は、

 

「留年が悪いことだとは思わない」

 

 

苦手な科目で単位を落としてしまった。

モチベーションが上がらなかった。

推しに貢ぐのに夢中だった。

ソ廃になってしまった。

 

なんらかの理由で留年してしまうことがあるかもしれないが、

留年は大きなチャンスでもある。

 

留年するという経験と、

留年によって得られる時間は、

ストレートで卒業していく優秀な人間には得られない

「特別なもの」になる。

 

 

 

苦手な科目があるならば、

それは自分の仕事にするべきではないという指針になる

 

モチベーションが上がらなかったのならば、

学びはなくても自分を見つめなおす時間になる

 

推しに貢ぐのに夢中になれたなら

大切な人にはとことん尽くせるという長所がある

 

ソ廃になってしまったなら

1つのものを続ける集中力と、本当にやりたいことはこれだという気付きになる。

好きだから廃人になるのである

 

 

事実、私は留年してからでないと見えないことがたくさんあった。

 

留年してからの生活そのものや、

留年して学んだ経験は、

就職活動だけでなく、

これからの人生を生きる上での大きな武器になった。

そこら辺の大学生よりは確実に、圧倒的に生活力がある。

 

所謂エリート街道を歩んで優良企業に就職したが、

老後の年金問題に頭を悩ませ、

定年後も天下りをして死ぬまで働く、

そんな人間よりよっぽど良い人生を送れる自信がある。←失礼

 

 

もしかしたら挫折を経験せずに生きてきた、

大学入学時の自分のような

意識高い系のイキリ社会人と出会うかもしれない。

しかしそいつよりは確実に、

壁にぶち当たったときに折れない自信がある。

 

 

”嫌だったら辞めればいい”

最強のマインドも手に入れた。

埼京線のホームから飛び込みなどありえない。

自分には無限の逃げ道と選択肢があるのだから。

 

 

 

そうなのだ。

自分は留年によって強くなれたのだ。

 

なので自分は

 

「留年してよかった」

 

 

と、

これから新しく出会う人や

大学の同期や先輩、後輩たち、

昔からの知人にも胸を張って、

酒の席でそう語り続けていきたいと思う。

 

 

 

 

しかしながらあくまでこれは自分という1人の人間の成功体験でしかない。

環境も性格も人によって違うだろう。

 

 

トップアスリートの

 

「こういう練習をしてプロになれました」

 

という成功体験談が大多数の人間には全く当てはまらないように、

 

「留年4回してもこんなふうに卒業して就職できました」

 

というのは全く参考にならないので、

進んで留年を狙いに行くのは絶対にオススメしない

 

 

 

 

 

まとめると、

 

 

「留年はしない方が絶対にいいと思う」

 

けれど

 

「留年が悪いことだとは思わない」

 

そして、

 

チョクという一個人は「留年してよかったと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

読む人にとっては

失敗談でも成功談でもない

 

これはあくまで

クズ大学生が歩んだ道のりを綴っただけの

日記のようなものである。

 

少しは参考になっただろうか。

 

 

参考にならなかったとしても、

留年するかもしれない大学生の皆様、

留年してしまった大学生の皆様、

もしそれが、1~2年程度の留年であるならば

下には下がいることを知って安心してほしい。

 

少しは勇気を与えられただろうか。

 

 

そして最近どこか元気が出ない真面目な社会人の皆様に、

 

少しは元気を与えられただろうか。

 

 

 

元気になってくれたら嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

留年4回したとある大学生の話は

 

これでおしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________________________

 

 

 

 

 

【締めの挨拶】

 

 

このクソみたいな長文に最後までつきあってくれた皆さま、

ご清聴ありがとうございました。

 

当初は記事1つで終わらせようと思ったのですが、

書いてるうちに5万字超えちゃうなと気付き始め、

全13話に分割させていただきました。

アニメの1クールのようです。

 

もともとリア友への生存報告が目的で書いたのですが、

いつの間にかフォロワー数の2倍くらいの人が毎話読んでるみたいで

なんか恥ずかしくなってきました。

そのうちアカウントに鍵かけるかもしれません(汗)

 

そして

ネット上でお友達になってくれた素敵な皆さま、

ありがとうございました。

オフ会や通話で

フリーランスやってます」

って言っていたのですが、

実はフリーランスに限りなく近い大学生やってました。

すみません(照)

 

最後に

リアルで自分に関わってくれた全ての皆さまに、

心から感謝の意を表したいと思います。

 

8年間本当にありがとうございました。

 

 

 

遅ればせながら、

来年度からそちら側(社畜の世界)に飛び込みますので、

今後も暖かく見守っていただけると幸いです。

 

 

時間に余裕ができたら

日本全国どこでも駆け付けます、

飯にでも誘ってやってください。

 

 

 

退屈させない土産話をお届けできる社会人に

なれてるといいなぁ

 

 

 

 

fin.

_______________________________

留年4回したとある大学生の話【第1話】意識高い系新入生 - @choku1stの雑記